「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
フィリピン語の猛勉強と高い授業料
 リリーは去った。しかし、彼女の面影は、残された何枚かの写真とともにいつも僕のそばにいた。
 瞳を閉じれば、彼女の黒く大きな瞳、シャンプーしたての髪の香り、そっと肩を抱くと、指先まで滑り落ちてしまうほどなめらかな、シルクのようななめらかな肌の感触……鮮やかに彼女のすべてが細かい部分まで克明に蘇ってくる。
 そして、フィリピンという国とフィリピーナへの興味は俄然深まっていったのだ。

 僕は、1989年11月、フィリピーナともっと言葉でわかり合うために、タガログ語と英語を同時に勉強し始めた。リリーの小さな写真を額に入れて、机の上におき、もし再会できた時、フィリピン語で愛を語り合うことを夢見てがんばった。
 それとリリーがくれた彼女のお気に入りばかりを集めた一本の音楽カセットテープ。これも僕を強く、タガログ語と英語の世界へと駆り立てた。彼女のお気に入り曲のメッセージが分かればいいなあと思った。
 今思えば、このテープがフィリピンポップス(OPM=オリジナル・フィリピノ・ミュージック)との出会いだった。まったく意味は分からないが、センチメンタルなメロディと繊細で甘い歌声が、リリーとの思い出のシーンを心のスクリーンの中に再生し、巻き戻された時の中で僕はリリーとたびたび語り合っていた。そして我に返ってはため息をつく。そんな繰り返しだった。

 独学と並行してフィリピン・パブにもはまり込んだ。学習の成果を実地で試す身近な実地訓練場だからだ。褐色の肌に吸い込まれそうな大きな瞳、脚線美、ヒップアップした美しいバックライン、ひとたびテーブルに着けば楽しい雰囲気作りの天才で、大したことを話しているわけでもないのに自分が世界で一番幸せな男というような気分にさせてくれる天性のホスピタリティ。
 僕はそんなフィリピーナの魅力にどっぷりはまり込んでいった。
 時代はバブルがはっきりとはじけ始めた1990~91年。給料はほとんどすべて、フィリピンパブに消えた。猛烈に遊びまくる心の片隅ではいつもリリーとの再開を求めていたのかもしれない。
 その間本気で結婚を意識して付き合った女性もいた。
 疑う心を持たない一直線な若気の至りで、結婚前から『彼女の家族は自分の家族』という思いで先走り、彼女のフィリピンの実家改築費・新品のジープ・トライシケル・ガレージの工事費・彼女の家族の病院代など、惜しみなく先行投資をした。
 その結果、今度は彼女の方から、何の遠慮もなく経済的支援を次々と求められるようになり、彼女の家族を助けるために借金。結局、あまりの経済支援の負担の重さにギブアップしたこともある。
 そんな、今思い出しても気持ちがブルーになる『貢くん』体験もした。ご多分に漏れず「自分もフィリピンパブの実地学習で本当に高い授業料を支払ったものだ」と振り返ると、自戒の念と恥ずかしさで一杯だ。
 しかし、僕はめげずにフィリピンとフィリピーナを愛し続けた。いつか本物の愛に出逢うことができると信じていたからだ。

そしてひょんなことから……(以降は次回に)
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by webmag-c | 2006-08-09 18:14 | 06 はまれば深いフィリピン