「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
日本語学校での意外な発見(アナリサ第2回)
★なぜ今さら日本語学校で日本語を学ぶのか?!
 看護士学校、介護士学校と2校回って収穫なし。今日はダメだったな、と思って遅い昼食を取ろうと思ったその時、Japanese Language Schoolの小さな看板が目に留まった。「今、日本語を勉強しているのはどんな人たちなんだろう」という好奇心がふっと沸いた。
 「コンコンコン」小さくノックしながら日本語学校の扉を開け、応対に出てきた女性事務員にまた取材の趣旨を説明した。小さな事務所風の学校の中には、事務所と小さなテーブルつきの席が10とこじんまりした教室が2つあるだけだった。奥の教室では、英語とタガログによる日本語レッスンが行われていた。生徒はわずか5人だが、先生と生徒の掛け合い、生徒同士の会話訓練と熱気みなぎる授業風景が半開きの教室の扉越しに見えた。
「授業は2時間と長いですが、終わったら、生徒さんとお話になってもいいですよ」
 初めての授業風景に見入っている時、事務員が声をかけてくれた。ありがたい。2時間は少々長いが待って話を聞いてみる価値はある。僕は一度学校を出て、モール内のマクドナルドで遅めの昼食を済ませてから授業終了の時間を待って学校に戻った。
 ちょうど授業が終わって生徒さんが教室から出てくるところで、僕は生徒一人一人に「こんにちは」と日本語で話しかけた。みんな「コンニチワ」と気さくに返事をしてくれた。なんと5人中3人が日本帰りの女性だった。その中でもっとも気さくな感じの女性に最後のフィリピンへの帰国時期を聞いてみると2005年5月。再来日を待ってほぼ1年。ドンピシャの取材対象だ。僕は簡潔に取材の趣旨を説明して協力を求めた。そしてとりあえず15分、モール内のマクドナルドでのミニ・インタビューを承諾してもらった。
「出逢いは偶然の風の中」、僕はさだまさしの歌の詞に自分の心境をダブらせていた。

 マクドナルドでは静かな隅っこに二人分の席を取り、ハンバーガーとコーラをはさんでのインタビュー。向かい合って座るとクリッとした瞳がきれいなアイドル系の彼女の美少女ぶりにドキドキした。「うーん、ひかれる!」そんな気持ちを抑えて質問を始めた。
「日本でエンターテイナーだった君が、今またどうしてわざわざ日本語学校にまで行って日本語の勉強をしているの? だって日本語はうまいよね?」
 おっとりして、ちょっとボーっとした感じのアナリサは、少し考えてから答えた。
「いえ、まだまだよ。実用レベルにはほど遠いわ。もし日本に帰れた時、日本語がうまかったら、仕事に有利でしょう。エンターテイナーで日本に戻れなくてもフィリピンの日系企業に応募する時も日本語ができた方が有利よね。それから私は看護学校生なの。新2年生で卒業まで先は長いけど、将来日本で看護士として働く時にも、日本語は絶対条件でしょ」
 エンターテイナーとして日本に戻る道を残しながらも、それがダメだめなら、日系企業への就職、最後の最後には本来の夢である看護士になる道が残っている。流動的な日比の人的交流環境の中で多くの可能性を残しながら、着々と未来を見つめて堅実な努力をしている。見かけによらずこのコ、ちゃんとした将来設計を持っているんだなと僕は感心した。運命に身を任せるだけのカラオケ・ガールとは大分違う。来日経験についても聞いてみた。
「来日は1回だけって言ってたけど、6ヶ月だったの?」
「いいえ、1ヶ月だけ」彼女はうつむき加減に答えた。
「えっ、1ヶ月? 何で?」
 その後、僕が絶句していると、ぽつりと彼女が途切れ途切れの日本語で言った。
「オミセ クローズ シタ シカタナイ」
 初来日の時に、彼女の店が手入れか何かで閉店して帰国する羽目になったに違いない。
「とんだ災難だったね」心からの同情をこめて僕は言った。
「そうね。本当に悲しかったわ」
 ちょっとショッキングな初来日のことを聞いて彼女への興味はますます増大していった。そんな苦い経験を味わったからこそ、帰国後、行く先不透明なエンターテイナー稼業だけでなく、将来の可能性を広げるために、看護学校の春休みを利用して週5日6ヶ月間の日本語教室に通っている。しかし、彼女の顔はこれだけではなかった。
(つづきは次回に)
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by webmag-c | 2006-09-21 19:54 | アナリサ2 アイドル系美少女