★小さいながらも素敵な我が家
マクドナルドの店内が込み合って騒がしくなってきた。続きはタギッグ市の彼女たちの家で聞かせてもらうことにした。そして、マクドナルドやアナリサの通う日本語学校などの入ったモールからジープでひと乗り、マカティ市とタギッグ市の境目にあたる新興住宅地の中にある彼女たちのアパートに向かった。渋滞のない道路をジープは風を切ってぶっ飛ばし、15分ほど、やがて眼前にマーケット・マーケットという巨大なショッピング・モールが現われた。こんなところにも新しいモールが、僕は驚いた。なぜならこの界隈は、ほんの数年前まで無人地帯で、地図上もマカティ市とタギッグ市の境界線の入っていない、いわばどうでもいい経済的価値のない場所だったからだ。この巨大モール前で降りて、向こう側のブロックに渡ったところに彼女たちの小さなお城はあった。
全体がパステルグリーンに塗られたこぎれいなアパートで、彼女たちの部屋は2階、ドアを開けると、パステルグリーンの床がピカピカと光沢を放つ7畳ほどの広さのワンルームに、キッチンがついているだけのシンプルな作りの空間が広がった。テレビはもちろん、冷蔵庫に電気炊飯器、洗濯機、電子レンジ、トースター、キッチンテーブルなど十分な家電製品や家具が整っていた。テレビ台の中のキャビネットには海賊版のCDやVCD、宇多田ヒカルやミスター・チルドレン、kiroroなど、フィリピーナがお気に入りの日本人アーティストのCDもたくさんあった。カーテンで仕切られた部屋の隅の寝室には、2段ベッドと衣装キャビネットが置かれていて、限られたスペースを無駄なく活用している。
「ねえ、見て見て」
カーテンで仕切られた寝室から14歳の高校2年生、アナリサの妹のアナベルが籠を持って出てきた。飼っているハムスターが3匹の赤ん坊を生んだらしくて大はしゃぎだ。
はしゃぎまわるアナベルにアナリサは、
「おもちゃじゃないのよ。光を当てないようにして部屋の隅にそっと置いておきなさい」と言った。アナベルは、生まれたばかりの赤ちゃんをじっくり見たくて仕方ないようだったが、お姉さんの言いつけにしぶしぶ従って、ハムスターの家を元の場所に返しに行った。
炊き立てのご飯に魚に肉に野菜にカップヌードルなど、食べ物はふんだんにあった。「スポンサーのいるタレントは暮らしぶりが違うなあ」と僕は以前インタビューしたローナの家とアナリサたちの暮らしぶりを比べて心の中でつぶやいていた。アナリサたちは毎日午後1時と午後7時半の1日2回、食事をしている。1日3回食べないのはタレントらしくいつもセクシーでいるために自主的にダイエットしていると言う。「食べられないのと、食べられるのにあえて食べないのとは全然違うよなあ」僕はまた心の中でつぶやいた。
★「僕」の意見
僕は危うく忘れかかっていたことを思い出した。彼女たちの本当の顔、看護学校生姿を見せてもらわなければ。
「アナリサもサンディーも6月から看護学校生なんだよね。君たちの制服姿の写真があったら見せてほしいんだけと、ここにある?」
二人は待ってましたとばかりに手に手にアルバムを持って見せてくれた。
真新しいアルバムの中に制服姿の写真を何枚か見つけた。真っ白な長袖のプルオーバーのトップに、プリーツの入った真っ白なひざ下20㎝はあろうかというロングスカート。二人とも白衣の天使という称号がふさわしい清楚な出で立ちで、純粋な田舎の娘さんという雰囲気があふれ出ている。アルバムの中には、店でのショットもたくさんあった。メイクをほどこして前髪を額の左右からひと筋ずつたらしたアナリサは可憐であり、僕は、初めて彼女にあった時のゾクゾクするようなときめきを思い出した。ほんの2年ほど前の写真の中ではサンディーもまだ無垢な看護学校生であった。
気になるのは、アナリサと日本人恋人Tさんの将来である。僕は思い切って、二人の将来について自分が思うことを率直に話した。
「世界的に有名な超一流企業に勤めていて、妻子もある社員が離婚することは大変なことだと思うんだ。と言うのは、今の奥さんと作った家族が壊れることはもちろん、Tさんは社内的な信用を失って、これからの昇進にも大きくマイナスになることは間違いない。だから、彼が離婚するということは出世をあきらめることで一大決心が必要だ」
アナリサは神妙な面持ちで僕の話に聞き入っている。僕は続けた。
「君の心の中には彼しかいないかもしれないが、彼の心の中には、君と奥さんと会社の3つがある。あっそうだ。子供もいたね。現実的に考えると、奥さんと会社を捨てて君を選ぶ可能性はとても低いと思うんだけど、君はどう思う」
「その通りかもしれないわね。実は彼、以前は『絶対奥さんと別れる』と会う度に言ってたのに、この前の電話で『やっぱり別れるのは難しいかもしれない』なんて言い出したの。そんな言葉を聞いたのは初めてでショックだったわ。どうしよう?」
彼女はいくぶん狼狽気味に救いを求めるような目で問いかけてきた。
「彼にとって君はやはりさみしさしのぎの相手に過ぎなかったんだと思うな。一時は本気で君を愛したかもしれない。でも日本に帰ってから、自分が離婚したら自分の人生がどうなるかを冷静に考えたんだよ。普通の日本の会社員なら、あの超一流企業に勤めていたら、海外駐在中に知り合った女の子のために会社のすべてを捨てるはずがない。日本の企業の駐在員でフィリピン人女性と付き合って日本の妻とは別れるなんて言ってフィリピン女性に期待を持たせる日本人男性はたくさんいるけど、本当に日本の奥さんと別れたという話はほとんど聞いたことがないんだ」
彼女はうつむいてすすり泣いていた。そして声を振り絞るように言った。
「やっぱりダメなのかなあ。でも日本人ってみんなそんなにうそつきなの?」
フィリピンでの日本人駐在員たちの多くの行状を見聞きするにつけ、僕は返す言葉をなくした。胸が痛かった。僕が言葉を失っているうち彼女は自分で結論を出した。
「彼ね、来月にプライベートと仕事を兼ねてこっちに1ヶ月間来るんだって、それではっきりいつ奥さんと別れるって言う約束をしなかったら彼のことあきらめるわ」
「それがいいかもしれないね」
僕は、すべてを捧げた外国人との初恋で彼女の傷が少しでも小さくてすむように祈るばかりだった。
(つづきは次回に)