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「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
ひとつのハッピーエンド(ジャネット第8回)
★Tさんからの電話
「彼はお金持ちだよね。何で君はまだ働かなきゃいけないの?」
「だってまだ、私たち結婚してないし、本当の夫婦になるまでは彼の重荷になりたくないの。このお店のユニフォームはみんなへそ出しだからあと2ヶ月もすれば私が妊娠してることは絶対隠し通せなくなるわ。そうなったらここの仕事をやめるの。ともかく働けるうちは働いて少しでもお金を稼いで貯金するつもりよ。だから2ヶ月だけ秘密にしてって言ったの」
 よくできた女性だ。僕はこの瞬間、彼女の人間性に惚れた。僕が彼女の誠実な生き様に感激してちょっとぼーっとしていると、彼女はうれしそうに、しかしお店のほかのスタッフに見られないように周囲に気を配りながら自分のバッグの中から金の婚約指輪を取り出して見せてくれた。金のアクセサリーで有名なオンピン通りで彼に買ってもらったと言う。
 彼女のジャパユキ・ストーリーは、母国での中国人男性との結婚という形で幕を下ろそうとしている。中国人の恋人の心変わり、彼の親戚の干渉など、ジャネットとその恋人の結婚はまだ予断を許さないかもしれない。でも、僕は彼女の心からの笑顔を見た時にそんな疑念はすっと消えた。彼女は愛する男性の妻として、また生まれてくる子供の母として女性としての結婚というひとつのゴールに到達しようとしている。運命に翻弄しながらもたどり着いた最後の幸せ。僕は今回の取材でもっとも出会いたかった元エンターテイナーのその後の人生に巡り会うことができて心から幸せだった。
「クーヤ、それからね。Tから昨日たまたま電話があったの」
「えっ、まだTさんと連絡を取り合ってたんだ」
 Tさんとジャネットがいまだにコミュニケーションを取り合っていることは驚きだった。
「そうなのよ。Tは時々『元気か?』って電話をかけてきてくれるの。それでね。中国人の恋人ができて、妊娠して婚約したことを報告したの」
「彼の反応は?」
「『そうか』って始めは少しがっかりした様子だったわ。それで『おれがインポじゃなかったらなあって』しみじみ言うの。私はその時は何て言葉を返したらいいかわからなくって2人とも一瞬黙っちゃったの」
 僕は電話で彼がしみじみ語ったと言う言葉に笑いをこらえるのに必死だった。自分がもし『男性機能不全』なら大問題だ。笑うなんて不謹慎だし、病気を持った人への重大な侮辱だ、とは思いながらもこみ上げてくる笑いを抑えきれずにいた。
「それからね。Tは『おめでとう。俺もうれしいよ。幸せになれよ。もう日本になんか戻ってくるんじゃないぞ』って言ってくれたわ。私もありがとうって答えて……」
 彼女が言いながら突然涙を流した。Tさんと過ごした楽しい日々への決別の涙なのではないかと僕は勝手に推測していた。気がつけば、彼女の突然の告白に僕はまだお祝いの言葉も言っていない。一言でもこの自分の喜びを言葉で伝えておかなければ!
「ともかくおめでとう。僕も心からうれしいよ」
「ありがとうクーヤ。クーヤも素敵な彼女を見つけて幸せになってね。うかうかしてるとおじいさんになっちゃって、子供の作れない体になっちゃうわよ」
「あちゃー、痛いところをつかれたなあ」と思いながらも返す言葉もなく、ただ苦笑するばかりだったが、彼女の子供のためにあえて苦言を呈した。
「ジャネット、タバコは生まれてくる子供の健康に害になるからやめた方がいいんじゃない?」
「あっ、そうだったわ。お医者さんからも彼からの言われたの。体に悪いことはわかってるんだけど、17歳の時からの私の唯一のビショ(悪習)だからなかなかやめられなくて……」
 と言いながら、彼女は火をつけたばかりの最後の1本をすぐに消した。
 僕はひとつのジャパユキ・ストーリーのハッピーエンドに巡り会い、心は快晴だった。
 午前2時30分前、折からの台風で外は土砂降りの大雨だったが、すがすがしい気分で帰宅の途につくジャネットの後姿を見送った。それから僕も帰ろうと立ち上がって出口に扉の手をかけたその時、あとを追いかけてくる足跡に気がついて振り返ると、お気に入りのビリヤード相手のメアリーが、怒ったような口調で言った。
「長くても1時間半でインタビューが終わるって言ってたのに、2時間半もジャネットと話し込んじゃって、ものすごく待ってたんだから」
 僕はインタビューの終わった後メアリーとビリヤードをやると約束してもいないし、待っててくれと頼んだわけでもないのだが、メアリーは僕らのインタビューが終わった後は、僕が彼女とビリヤードをやるものだと勝手に思い込んでいたようだ。メアリーは心底待ちくたびれている様子だ。僕はちょっと意地悪に
「じゃインタビューが終わったから僕も帰ろうかなあ」
 と言ったら、彼女は鬼の形相でつかつか歩み寄ってきて、僕の尻を思い切りつねりあげながら言った。
「クーヤ、もしこのまんま帰ったら私たちもう友だちじゃないからね」
「痛い! 仕方がないなあ。じゃあ、君の相手をするよ」
 彼女の仕事時間は10時から朝の7時までだ。今晩も徹夜で彼女とビリヤードをする羽目になりそうだ。外は大雨。おそらく僕のアパートの近くも冠水状態だろう。深夜、大雨の中をずぶぬれになって苦労して帰宅するより、気心知れた女友だちとビリヤードで徹夜するのも悪くない。 
 僕はメアリーとのゲームを前にもう心が躍っていた。

ー ジャネットの章終わり ー

(次回から、ビールハウスで働くレイチェル〈21歳〉の物語です)
by webmag-c | 2006-11-02 15:15 | ジャネット8 ハッピーエンド