「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
「スケベジジイ」と「うそも方便」(レイチェル第2回)
★見下した態度
 初めは暗くてよくわからなかったが、次第に暗さに目が慣れると黒いノースリーブのワンピースに身を包んだ彼女の高い鼻、大きく澄んだ瞳、ややスリムだがボン・キュッ・ポンと流れるように美しいボディラインに気がついた。少女の面影を残したなかなかの美人だ。僕の視線に気がついたビールハウスの天使が出し抜けに言った。
「ナニジロジロミテルンダ スケベジジイ」
 この一言には僕もちょっとびっくりした。ほんのご愛嬌のつもりなのかもしれないが、僕は素直に笑えなかった。ちょっとひどい言葉だ。こんなローカルなビールハウスに日本人はほとんど来ないためか、懐かしさでたまたま紛れ込んできた日本人客相手に日本語を使いたかったのだろうか? それとも彼女なりのサービス精神なのか? いずれにしろ僕はちょっとゲンナリした。しかしそれよりも気になったのは、微笑む彼女のきれいな瞳の奥がすごく暗かったことだ。さらに僕は取り留めのないことを聞いた。
「このお店には日本人のお客さんなんて来ないよねえ」
 今度は僕も日本語だ。
「クルワケ ナイジャン」
 と明らかになんてバカな質問するんだと言わんかのように人を見下した目で言った。
 この子は何でいちいち人に突っかかるようなものの言い方をするのだろうか? 僕がこの子にどんな悪いことをしたと言うんだ!  僕は彼女のこの一言でキレかかっていた。しかし「切れたら負けだ。それに情報提供者にも申し訳ない。何とかインタビューまでこぎつけなければ」と僕は自分に言い聞かせた。彼女はいずれにしろ悪い日本語を身につけて帰ってきた。性格も素直ではない。強烈な劣等感の裏返しなのかもしれないとも思った。僕は彼女の態度についてはあえて気にしないようにした。本当はいっそのこと「君の日本語は汚いから、もう日本語は話さないでくれ。頼む」と言ってやりたいくらいだったのだけれども。このように突っかかってくるような彼女の態度の訳をあとで知ることになる。

★『とりあえず歌手』
彼女は2004年の11月から2005年の5月までたった一度だけ東京でエンターテイナーとして働いている。その時の資格は歌手だった。僕はその歌を聞かせてもらうことにした。
「君は歌手だったんだよねえ。お気に入りの歌を聞かせてもらえないかなあ」
「わかったわ」
 彼女はウェイターを呼んで歌本を見ながら何曲かの歌番号を小さな紙に切れ端に書いて伝え、ホイットニー・ヒューストンやマライヤ・キャリーなどの世界的な女性歌手やレジーン・ヴェラスケスやシャロン・クネータといったフィリピン人大物シンガーのスケールの大きな歌を披露してくれた。しかし、彼女の声質は深みがなく、伸びもなく、音程も不安定、心に響くものは何もなかった。ちょっと歌が好きなアマチュアの女の子のレベルだ。彼女も『とりあえず歌手』という口なのだと思いながらも、
「アン ガリン モ タラガ(ほんとに上手だねえ)」
「ナタッチ ナマン アコ(感激しちゃったよ)」
 などと心にもないお世辞を言った。彼女はこの時ばかりは
「ありがとう」
 とかすかな笑顔で答えてくれた。「うそも方便」「お世辞は人間関係の潤滑油だ」とつくづく感じた。彼女は歌い始めるととまらなくなり、ビールの方もどんどんすすんだ。
 早くインタビューの約束を取り付けて帰らないと…。すりや強盗の多いこの地区で真夜中に酔っ払って千鳥足で歩きながら帰るというのは避けたい。
「じゃ、勘定を頼むよ」
 といいかけた時に、レイチェルは
「クーヤ、最後にデュエットしましょ」
 と誘ってくれた。つっけんどんだった彼女が一緒に歌を楽しむことで少し自分に対して心を開いてくれたようでうれしかった。僕らはオギー・アルカシッドとマニリン・レイネスのパガコ(約束)を歌ってその日の歌い納めとした。そして忘れないうちのインタビューの約束を交わした。次の日は大切な用事があるらしくて、翌々日の午後3時にマカティ市とパサイ市の境界に近い、エドサ通りとエヴァンヘリスタ通りの角にあるマクドナルドで待ち合わせることに決めた。その角には通り1本をはさんでジョリビーとマクドナルドが向かい合うようにして並び立っている。僕は彼女が間違えないように、さっと手書きで地図を描いて渡した。
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by webmag-c | 2006-11-10 02:53 | レイチェル2 ひどい言葉