「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
予期せぬ出会い(ジョイ第1回)
今回から、LAカフェでフリーのホステスとして働くジョイ(?歳)の物語です。


★夏休みの学生たち
 リセルとの切なく悲しい再会はかなり尾を引いた。彼女との再会の日から数日間、僕は小さな甘い想い出と受け入れがたい過酷な現実の狭間で、とてつもないむなしさと脱力感に襲われた。しかし、取材のためのフィリピン滞在期間は約2ヶ月間。立ち止まっている暇などない。僕は感傷の世界に引きずり込まれそうになるのを何とか踏みとどまり、自分の気持ちを必死に立て直した。
 それからちょっと冷静になって今回の取材の原点を振り返った。取材目的は、かつてエンターテイナーとして僕たちをいやし、楽しませてくれたすべてのフィリピーナたちのいろいろな『その後の』人生を追いかけ、僕と同じような興味を持った人々に彼女たちの様々な現状を伝えることだ。そのことだけのために日本から飛んで来たのだ。盛り場で働く元ジャパユキの生き方だけを追いかけに来たわけではない。むしろそれはほんの一部に過ぎない。その他にも、フィリピンの社会でまっとうな仕事についた女性、自ら商売を始めた女性、主婦として家族の下に戻った女性など、追いかけるべき取材のモデルは他にもたくさんいる。
 そんな意味でフリーの娼婦の溜まり場として有名な援交カフェであるLAカフェを本拠に働く元ジャパユキの姿は、あくまでも一例に過ぎない。だからこそリセル一人を紹介できればそれで十分なはずだ。だから僕がLAカフェに通う理由はもう何もないように思われた。
 しかし、4月中旬の復活祭明けと言えば、常夏の国フィリピンでも一段と熱い3月から5月にかけて続く夏の真っ只中。フィリピンの学生にとって3月下旬から6月上旬にかけて続く長い夏休みは、夏季補習授業のシーズンでもある。1学年が6月に始まり、翌年の3月下旬か4月の上旬に終わる学校制度の中で、夏休みは新学年分の学費や夏季特別補習授業の授業料を稼ぐために勤労女学生のアル売春が増える特別な時期としても知られている。今回の取材の目的からは外れるが、せっかくこういう時期にマニラに滞在しているのだから、そんな女学生たちのアル売春の実態も自分の目で確かめておきたくなった。それで旧友リセルとの再会後も、僕は若いフィリピーナたちのいろいろな人生との出会いを求めてもう数日だけLAカフェに出入りを続けることにしたのだった。

 実際、「私は看護学生なんだけど、新学期の学費稼ぎでアルバイトしてるの……」「私は大学生で今夏休みなんだけど、夏季特別授業の授業料で1週間後までに10000ペソ稼ぎたいの……」、学生証を見せながらそんな言葉で誘いかけてくる学生らしき女の子とたちともたくさん出会った。それは僕にとってLAカフェの中で季節を感じた瞬間でもあった。
 また、『お母さんが大病で緊急手術が必要でどうしても明日までに50000ペソが必要だから、私は処女なんだけど50000ペソで明日の朝まで自由にしてもいいわ』とか、明日までに家の家賃3か月分4500ペソを払わないとアパートを追い出されちゃうからお願いだから私を連れ出して』といったアプローチを受けた。あまりに真剣なアプローチに同情心から思わず札入れからお金を出したくなる場面もあった。
 もちろん彼女たちの話をすべてが本当ではないだろうが、日々の生存を欠けてのそれぞれに真剣な戦いぶりはよく伝わってきた。余談ながら、母親の病気を理由に僕に言い寄ってきた18歳の女子大生だと名乗る女の子は、僕が50000ペソなどという大金は持っていないと言うと、すぐに半額の25000ペソにディスカウントしてきた。彼女は僕が今宵の相手を探していると勘違いしている。彼女の話が本当だとすれば、ますます彼女の生涯一度の処女としての仕事を邪魔するわけには行かない。女性を買うつもりはないことをはっきり告げると、彼女は悲しげに僕が座っていたテーブルを去っていった。
 所持金は3500ペソあまり。今回の取材の趣旨に合った女性に巡り会った時の謝礼代と食事代など、ほとんど最低限の金額しか持ち合わせていない。でも、もしこの時、50000ペソの持ち合わせがあったとしたら、母親が大病だと言う彼女に『これを使って。ただし自分を大切にすると約束してね』と言って渡していたに違いない。それだけその子の様子には鬼気迫るものがあったのだ。そして、『たった1回の行為から彼女が誤った方向に人生を踏み外してほしくない』という強い衝動に心が突き動かされていたのだ。彼女の話が嘘で僕が騙されているのであればそれはそれで自分に人を見る目がなかったと納得できる。しかし、幸か不幸か、僕には50000ペソも、50%引きの25000ペソの持ち合わせもなかった。
 家賃を払わなければ家を追い出されると言った女の子の方は、家を追い出されること自体が今すぐ人の命にかかわる問題でないこと、また直感的にその子がこの手の嘘で常習的に外国人たちを騙していると確信に近いものを感じたので、なんらの同情心もわかず、『お金がないから』と軽くかわすことができた。

★メスティーサ(混血)美の象徴
 そんなある日のことだった。
 「アナタ ニホンジン? ワタシ ニホン キョネン イッタヨ」
 ふいに日本語で声をかけられてあわてて振り返った。そこにはこれぞメスティーサ(混血)美の象徴とも言うべき、スペイン系の血の濃く混じった彫りの深い美少女ジョイが立っていた。やさしくも怪しい笑顔に僕は一瞬のうちにグイッとひきつけられた。黒く大きな瞳、高い鼻、あごの線が鋭角で、まなざしは鋭く、深い憂いとかげりをたたえている。5フィート(152㎝)とやや小柄だが、大きな胸のふくらみからくびれた腰のライン、そして豊かで張りのあるヒップへと続くシルエットは、コーラの8オンスびんを思わせる見事な曲線美だ。声をかけてきたのは単なる客探しのためなのだろうが、いずれにせよリセルに出会うまであれだけ見つからなかった、日本から帰国して間もない元ジャパユキにかくも簡単にまた遭遇してしまったのだった。
 援交カフェで働くフリーの売春婦というプロフィールの元ジャパユキは一人紹介できれば十分と思っていた自分だが、ともかくジョイに出会ってしまった。しかもジョイには、リセルとはぜんぜん違ってプロの売春婦のにおいがする。この子はまたぜんぜん違った人生を歩んできたはずだ。また、一味違った元ジャパユキの人生に出会える予感がした。この偶然を利用して彼女の話もぜひ聞いてみたい。それで取材の趣旨を説明し、承諾を得て話を聞くために連れ出すことに決めた。となると、念のために何をおいても彼女の年齢だけは確認しておかなければならない。
 「今、何歳?」
 「20歳よ」
 ひとまずOKだ。17歳以下の女の子とこの辺を歩いていると、児童買春の疑いをかけられて逮捕されてしまうかもしれないから、この確認は絶対不可欠だ。さらに念のため、僕は彼女の身分証明書(ID) も見せてもらうことにした。つい最近も日本人観光客が、グルになった未成年売春婦と警官にハメられて、ホテルに入ろうとするところを呼び止められて捕まえられ、『児童買春は大変な罪になるぞ』などと脅された挙句、拘留を免れるために何百万円という金を払う羽目になったというような事件が何件も起こっている。用心にこしたことはない。
 ジョイは、小さなバッグの中からさっと財布を取り出し、その中から1枚のカードを抜き出して見せてくれた。それは裁縫工場の会社名、彼女の名前・写真も入っているIDだった。生年月日も1985年×月×日となっていて問題はなさそうだ。
 児童買春で捕まらないためのチェックが済むと、僕は、
 「Hなサービスは何もいらないから、今の君の暮らし、日本での出来事とか、僕が聞くことに正直に答えてね」
 と彼女に頼んだ。帰ってきたのは
 「いいわよ」
 というそっけない返事だけだった。乗りかかった船だ。僕はインタビューがうまく行くか一抹の不安を感じながらも、3時間1500ペソの約束で彼女を連れ出し、すぐ近くの日本レストランに誘った。彼女がうどんを食べたいと言ったからだ。

 初対面の時の微笑が嘘のように、二人きりになってからの彼女は、レストランに着いてオーダーを終えても何かイライラした様子で、落ち着きがない。どうしたというのだろう? 変な客に関わったとか、女の子同士の客の取り合いとか、仕事上のストレスで神経がまいっているのか? それとも家賃が支払えなくて家を追い出されそうだとか、間近に迫った経済的問題のプレッシャーに押しつぶされそうになっているのか、僕はジョイの心のうちについていろいろ思いをめぐらしてみたが、答えは見えない。

 重苦しい沈黙の中で、彼女はおぼつかない箸づかいで何とかてんぷらうどんを平らげると、小さなショルダーバッグからタバコとガスライターを取り出し、あわただしく火をつけ、煙を深く吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。実に堂に入った吸い方だ。1年や2年の喫煙歴ではなさそうだ。
 「タバコは長そうだね。いつごろから吸ってるの?」
 「小学校1年くらいから」
 彼女はこともなげに言ってのけた。僕の驚きを察したのか、ジョイは少し説明を加えてくれた。
 「お父さんにタバコの火をつけてくれるように頼まれて、よく火をつけてあげているうちに自分でも吸うようになったの。7歳くらいの時からかなあ。その頃は時々お父さんのタバコの箱から1本、2本ってこそっと抜き取って吸ってただけよ」
 なるほど、納得だ。僕はかつてスラムの路地裏でよく見かけた光景を思い出していた。というのもフィリピンの庶民、特に貧困層の人々の中では、子供たちがお父さんやお母さんのタバコにマッチで火をつけて、一ふかし二ふかしして完全に火がついてから手渡す習慣がある。僕はかねてから『これは子供の健康にとっても悪いし、児童喫煙のきっかけにもなりかねない悪しき習慣だな』と思っていて、そんな場面に出会うと、眉をひそめて見ていたのだが、多くの子供たちは完全にタバコに火がついたらそれで役目は終わりで、実際の喫煙に至ることはめったにない。しかし、ジョイの場合はそこでタバコの味を覚えてしまったようだ。
 タバコの威力で少し気分が落ちついたのかジョイの表情が穏やかになったので、僕はおもむろにインタビューを始めた。
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by webmag-c | 2007-01-06 23:00 | ジョイ1 予期せぬ出会い