「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
「迷惑」なメール(ジョイ第2回)
 「去年、日本で仕事してたんだって?」
 「ええ、そうよ」
 彼女の表情がまたにわかに険しくなった。
 「何月から何月まで?」
 「1月から7月」
 「日本のどこ?」
 「東京」
 聞いたことに対して最低限の答えしか返ってこない。身の上話はしたくないのだろうか? ジョイの黒くて大きな目はキョロキョロと落ち着きなく動き、視点が定まらない。
 とその時突然、彼女の携帯が鳴った。しかし出なかった。僕に遠慮したのかと思い、
 「僕に遠慮しないで、電話に出てもいいんだよ」
 と言うと、ジョイは
 「遠慮してるわけじゃないのよ。うっとうしいのよねえ。この客。おととい知り合った現地駐在の日本人なんだけど、私に本気になっちゃったみたいで『君を今の汚れた仕事から救い出したい。僕の恋人になってほしい』だって。おとといからもう40~50回はメッセージを送りつけられてるわ。これ見て」
 ジョイは受け取ったばかりのメッセージを見せてくれた。
 「I love you Dakara Shigoto wa yameru OK? I miss you Kimini aitaina Sugu akono(僕の) Heyani kite Matteruyo Bokuga kimito Kimino family mo tasuketeageruyo……」
 ジョイに入れあげたお客のいささか勝手なメッセージがそこにあった。
 「同じようなメッセージを何回も何回も送りつけられてもううんざりだわ」
 と言いながら、ジョイは迷惑そうに端正な顔のみけんにしわを浮かべながらテキストを送り始めた。テキストとは、フィリピンの携帯電話間で、電話番号をメールアドレスのように使って行うメッセージのやり取りで、日本の携帯メールのようなものである。やはりすんなりとインタビューに入っていかれない一因は仕事上のトラブルだったようだ。しつこい客、スケベな客、アブノーマルな性癖を持った客……稼ぎは大きくても仕事上のストレスやドラブルが多いのもまたフリーランス・ホステスの仕事の一面である。
 「彼がうっとうしいって言うのは余計なお世話っていう感じかな? やっぱりお客さんと本気で付き合うのはいやなの?」
 僕は彼女の心の中を読み解こうとしてみた。
 「お客さんだっていい人もいるし、自分と相性の合う人なら彼氏にしてもいいと思うわ。でも『私を助けだす』なんて余計なお世話っていう感じね。だって今の私にとって一番大事なのは、家族を助けるためにお金を稼ぐことだし、このお客さんタイプじゃないの。わがままで。もう30歳なのにまだ心は子供のままみたいなの」
 「じゃ、しかたないね」
 「そうなのよ。だから彼があきらめてくれるようにメッセージを送るからちょっと待ってて」
 彼女は手馴れた様子で目にもとまらぬ速さでメッセージを打って送信した。そしてまた、灰皿に置いたタバコをくわえ、煙を深く吸い込んで、静かに吐き出した。彼女の表情は険しいままで、視線はキョロキョロと定まらず、きれいな瞳は『心ここにあらず』という彼女の内面をはっきりと映し出していた。
 「何てテキストしたの?」
 「『今、お客さんといっしょだから仕事の邪魔しないで』って」

 少しでも相手の立場に立って考えることのできる客なら少しは彼女の仕事に気遣ってしばらくは何も言ってこなくなるはずだ。しかし、すっかり熱くなったその客は引き下がらなかった。
 「それじゃ、話を始めようか?」
 と何とか彼女の気持ちをインタビューに向けようと、穏やかな表情を作って僕が必死に努力している時、またしても『ピー、ピー』とテキスト・メッセージの着信音が鳴る。彼女はまた険しい顔をして、無言でテキストを送った。
 「今度はどんなメッセージを送ったの?」
 「『あなたはタイプじゃないの。迷惑だからもう私に付きまとわないで』って」
 それは強烈だ。もうこれで僕にとっても迷惑なその客からのテキストが入ることはないだろう。実際、その後もう二度とその迷惑な客からテキストは来なかった。
 仕事として甘いサービスをしたのを愛と勘違いしてすがりつくように張り付いてくる男性も悲しいが、それを振り払うホステスにも自分の暮らし・プライバシー・仕事を守るための苦労があるのがよくわかった。

 さあ、問題がひとつ片付いて今度こそようやく落ち着いてインタビューだと思った矢先、ジョイから思いもよらぬ申し出があった。
 「ねえ、今日はむしゃくしゃするの。インタビューに答える気分じゃないわ。お願い!! ビリヤードに付き合ってくれない?」
 ジョイは苦悩にゆがんだ表情で、懇願するように言った。またしてもビリヤード?! 僕は覚えたてでやりたくてしょうがない時期だ。彼女にお相手してもらうもの悪くないが、インタビュー第一だ。何しろ拘束料を支払い、夕食までご馳走している。そしてようやく話が聞けると思ったら、今度はビリヤードに付き合ってと来た。このジョイという娘はリクエストが多すぎやしないか? 僕はちょっとジリジリ・イライラしてきた。すぐにも彼女の身の上話を聞きたい。しかし、彼女の突き刺すようなまなざしに、Noとは言えなかった。それに、彼女の立場に立てば、タイプでない客からしつこく付きまとわれるのは大変な迷惑だし、大きなストレスの原因になるだろう。場合によってはストーカーまがいの客に命を奪われるような問題に発展するかもしれない。しかしそれをさばくのもホステスの仕事のうちなのだが、言うは易く、行うは難しだ。そんな時に気晴らしが必要なのもうなずける。僕ははやる気持ちを抑えて彼女のお願いを聞き入れることにした。
 「わかった。今日はまずビリヤードしよう。でもその後、もし今日がダメならまた近いうちに君の話を聞かせてね。」
 「ええ、わかったわ」
 僕は彼女のうわの空の返事を信じて、今日はうさ晴らしに付き合うしかなさそうだ。

 ジョイの行きつけだというビリヤード店は、僕らが食事した日本レストランから歩いて5分ほどのアドリアディコ通りに面したビルの3階だ。
 彼女はすばやくキューを選ぶと、ビリヤード台の上でキューを突き出す練習をしている。彼女の一連の動きは凛として美しかったが、いやな思いを振り払うかのように、そして何者かに取りつかれたかのように、自分をビリヤードへと駆り立てているようにも見えた。僕が彼女の動きに見入っていると、ジョイは不意に背中越しに、
 「勝負しましょう。1ゲーム100ペソでどう?」
 と言った。フォームを見ているだけで彼女が相当の経験者であることは素人目にもわかる。かなりの腕と見た。何ゲームやるのかわからないが、おそらく僕は1ゲームも取れないだろう。
 普通、このエルミタで見知らぬ同士がビリヤードの手合わせする時、賭けゲームはさほど頻繁には行われない。せいぜい負けたほうがゲーム代を持つ、それがこの外国人観光客の多い界隈の暗黙のルールにもなっている。賭けるとしても、ゲーム代は1ゲーム分のゲーム代である25ペソが普通だ。真剣勝負というより遊びの延長というわけだ。
 今日の僕らのゲームでは、ビリヤード台の時間借り料金やドリンク代はすべて当然僕持ちだ。その上さらに掛け金まで取られるのではどう考えても割に合わない。そもそも持ち合わせの少ない僕は、10ゲーム負けたらもう支払いができない状況だったので、自分が全部負けることを前提に1ゲーム25ペソで許してもらうよう頼み、了承してもらった。
 さあ、ゲームだ。もちろん8ボール。彼女のダイナミックなフォームから勢いよく突き出された白い玉が3角形に並んだ15個の玉を勢いよくはじく。すさまじい迫力、そして殺気。彼女は何かに取り付かれたかのようにダイナミックなフォームからある時は力強く、ある時は繊細なタッチで次々と自分のボールを突く。一球入魂と言うのだろうか? ジョイの情念の乗り移ったボールは、気持ちいいくらいに次々とポケットに吸い込まれていく。自分の魂のすべてをボールに注ぎ込んでいるような彼女に、プレイ中はまったく話しかけることすらできなかった。僕はその美しさと迫力に圧倒されたまま、見入っているだけだった。
 あっという間に予定の2時間が過ぎた。18ゲームやって全敗。悔しいとかそんなレベルではなかった。それは実力が伯仲している場合だ。この日の勝負では、ただただ恐れ入りましたとしか言いようがない。僕はまず負け分の450ペソをジョイに支払った。この450ペソは彼女のプレイを見せてもらった鑑賞料だと思うことにした。ジョイは少し気が晴れたのかこの時初めて笑顔を浮かべた。
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by webmag-c | 2007-01-09 13:11 | ジョイ2 「迷惑」なメール