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「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
カテゴリ:ローナ7 離婚すらままならない( 1 )
あなたのメイドにして!
マカティの高級カラオケで働くローナの物語7回目です。


         *     *

★離婚したくてもできない理由
 「今は子供に満足にミルクも飲ませてあげられない状態なの。だからせめて子供のミルク代と、世話をしてくれているお姉さん夫婦へのお礼として毎月1万円でもいいから仕送りしてほしい。それができないなら、私との婚姻を解消してほしい。Aに望むことはそれだけよ」
 「『婚姻の解消?』一瞬何のことかわからずに僕は聞き返した。
 「だって書類の上ではAはまだ私の夫でしょ。フィリピンでだけね。だから婚姻を解消しない限り、これからもし素敵な人との出会いが会っても結婚できないの。相手がフィリピン人だろうと、日本人だろうと。私は紙の上だけの結婚にまだ縛られているのよ。完全には自由じゃないの」
 僕にもよくわかった。フィリピンでは本来、離婚はできないことになっているが、弁護士を雇って『婚姻無効』の手続きを取れば晴れて独身に戻ることができる。ただ、その諸費用は、30000ペソ~50000ペソと普通のフィリピン人がおいそれと用意できる額ではない。まして今のローナの稼ぎでは、飲まず食わずで貯めたとしても5年、いや10年かかっても用意できないかもしれない。
 しかし月1万円の仕送りにしろ、この婚約無効の手続き費用にしろ、定職を持った日本人なら、謝罪の気持ちさえあれば難なく払える金額だ。Aは、離婚後のさびしさをを紛らすために、ローナをおもちゃにし、その人生を大きく狂わせたことへのささやかな代償すら支払わず、日本では独身面を引っ下げて好き勝手に女遊びを楽しんで、男に生まれた幸せを謳歌しているに違いない。
 その一方で、家族すべての生活を背負っていたローナは、底なし沼のような極貧生活の中で毎日を生き延びることに汲々としている。こんな理不尽が許されていいはずがない。
 「毎月仕送りができないんなら、せめてローナを自由にしてやれよ」
 僕は、自分の気持ちがコントロールできなくなって思わず近くのテーブルを両手こぶしでたたきながら大声で叫んでしまった。ローナは一瞬驚いた様子を見せたが、僕のAに対する怒りの表現だとわかったのか、微笑みを浮かべて言った。
 「まだ、私の生きがいに会ってなかったわね。連れてくるわ」
 
 彼の名前はKEN。1歳半、覚え始めのタガログ語を少し話し出したばかりのジャパニーズ・フィリピーノだ。一見して日本人の血を受け継いでいるとわかる顔立ち。「この子が私の生きがいよ」と言うローナの顔が一瞬のうちにやさしい母親の顔に変わっている。
 しかし、無責任男との気まぐれな行為の結果の置きみやげであるこのかわいい子供が今の彼女の生きがいだとはちょっと皮肉だと言わざるを得ない。子供のない僕にはそうとしか思えなかった。
 目鼻立ちの整った男前だが、難しい顔をしてまったく笑わない。母親の苦難をともに背負い込んでいるようにも思えた。「この子の笑顔が見たい!」インタビューが終わったら二人をSM(シューマート:フィリピン最大のスーパーマーケットチェーン店)での食事に誘おうと思った。愛情のない『関係』によってこの世に生を受けた子供が、フィリピンで周囲の人々の暖かい愛情を一杯に浴びて幸せに暮らしている姿を僕はたとえ一瞬でも見たかったのだ。

★出稼ぎのチャンスはもうない?……かすんでいく夢
 「可能性はフィフティ・フィフティかなって思ってたけど、最近ダメかなあと思い始めたの。日本が厳しくなっただけでなく、アロヨ(大統領)がテレビで『日本に出稼ぎに行くエンターテイナーはフィリピンの恥、削減する』と公言したのもすごくショックだった。日本にもフィリピンにもどこにも私たちの味方はいない気がしたわ。もう一年近くも待ってるし。今ヴィザをもらえているのはファースト・タイマーの娘(初来日の娘)ばっかりよ」
 エンターテイナーとしての再来日の可能性についてローナはうつろな目で話した。
 「ダメかもしれない。でも今の私にはただチャンスを待つしかないの。私は、高校しか出てない。頭も悪い。新しい仕事を探すにも、今は応募書類を用意するお金も交通費もないんだから。贅沢は望まないけど、1日30ペソの生活はもういやだわ。カラオケの仕事も飽き飽き。でもやめられない。他に選択肢がないんだから。あと1年は待ってみるわ」
 「もし1年待って日本に行かれなかったら?」
 僕は心から彼女の身の上を案じて、最悪の場合の心構えを聞いてみた。
 「結局私にはこの仕事しかないかもしれないわね。でも、できれば田舎に戻って畑仕事でもして平和に過ごしたいわ。貧乏には慣れてるからどうやってでも生きていけるわ」
 ローナは自分に言い聞かせるかのように言った。そして気を取り直して言葉を続けた。
「ただ私だってただ黙って待ってるわけじゃないのよ。韓国にエンターテイナーを斡旋するプロモーションにも足を運んでみたわ。『接客はもちろん売春もしなくちゃいけないけどOKかい?』と聞かれてすぐ帰ってきちゃった。どんなに貧乏でも売春だけは絶対にいや」
 なるほど。他の日本帰りの女性から、日本以外の多くの国でフィリピン人がエンターテイナーとして働く場合、ほとんど必ず売春がセットになっている、と聞いていたがどうやら本当らしい。そんなことを考えている時、ローナは出し抜けに言った。
 「クーヤ ガウィン モ アコン カトゥーロン モ(お兄さん、私をあなたのメイドにして)。マニラにいる間だけでいい。給料は1日300ペソ。いや200ペソでもいいわ」
 心臓がバクバクした。冗談ぽく言う彼女の視線は真剣そのもの。彼女がそこまで追い込まれているとは! 一瞬真剣に考えた。掃除、洗濯、食事の世話、その他雑用をこなしてくれるメイドはありがたい存在だ。ただ1ヶ月9000ペソは、今回の緊縮予算の取材旅行ではやはり大きな出費だ。突然の申し出に僕が当惑しているのを読み取った彼女は
 「ほんの冗談よ」
 と申し出を取り下げてくれた。内心ホッとしたが、彼女の真剣なまなざしは、確かに『私どうしようもないの。助けて』と訴えかけていた。僕は何もできない自分がたまらなくもどかしかった。
(次回、ローナの最終回です)
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by webmag-c | 2006-09-18 21:57 | ローナ7 離婚すらままならない