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「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
カテゴリ:ローナ8 来日を待ちわびて( 1 )
ジョリビーのディナー
マカティの高級カラオケで働くローナの物語、最終回です。

         ☆    ☆


★幸運を祈る
 インタビューは終わった。時計の針は午後2時半をまわっている。彼女たちは今朝からまだ1食もしていないはずだ。早く食事に誘ってあげなければ。

「KENはグワーポ(男前)だけど本当に笑わない子供だね」
とローナに自分の感じたままを言った。
「そうなの。気難しい子でね。ミルクを飲んだり、おいしいものを食べるとよく笑うのよ」
ローナは答えた。「じゃ、みんなでジョリビーに行こうよ」と僕は2人を誘った。

 2人は着替えのために2階に上がった。僕も一緒に部屋を見せてもらった。テラスとベニヤ張りの3畳半くらいの部屋、そして階段の脇に3畳足らずの部屋が一部屋あった。狭い方の部屋に改めて目をやると、小さなたんすの脇に、ピンクのスーツケースがポツンと置かれている。ローナの日本への思いをたくさん詰め込んで『私を早く日本に連れてって』と訴えかけているようだ。
 出産後体調を壊し、7ヶ月間完全休養してからタレントとして現場復帰して1年。かつてない長いスタンバイ状態での日本にかけるローナの思いを目の当たりにして、僕の胸にもグッとこみ上げてくるものがあった。いたたまれなくなって振り返ると、テラス越しに希望をかき消すような灰色のマニラの空が見えた。

「ありがとう。インタビューは終わりだ。これ今日のお礼だよ」
僕は500ペソをさりげなく彼女に渡した。
「ありがとうクーヤ。これでKENのミルクが買えるわ」
彼女の瞳が潤んだかと思ったとたん、大粒の涙が一筋二筋と流れた。彼女はハンカチでさっと涙を拭い去ると、何もなかったかのように笑顔を取り戻して
「さあ、ジョリビーに行きましょう」と弾んだ声を出した。僕は500ペソというお金がこんなに価値のあるものなんだと改めて感じていた。

 SMに着いてジョリビー人形を見つけると、KENはローナの手をぐいぐい引っ張る。
「この子、本当にジョリビーが大好きなの」と笑みを浮かべるローナ。
 僕はブライドチキンとご飯のセット『チキンジョイ』、ローナとKENは『ミックスプレート』という、ビーフステーキ・ご飯・フルーツサラダのセットを注文した。
 席について、ミックスプレートのフタを開けると、ベビーチェアに座ったKENは満面の笑みを浮かべ、何度も小さくジャンプするように腰を浮かせた。
「あっ、KENが笑った」そんな言葉が思わず僕の口をついて出てきた。
 KENは、ビーフステーキ→ご飯→フルーツサラダと、次々に自分が食べたいものを指さしてローナに意思表示する。ローナはKENのリクエストに答えて彼の口に慌ただしく食べ物を運ぶ。KENは、おいしいと思う度に満面の笑みを浮かべては足をばたつかせる。一方、ローナはKENがパクパクやっているうちにさっさと自分の分を食べる。KENの笑顔にローナが週に一度の母親業を楽しむ姿、どちらもとてもほほえましかった。
 ローナと日本の無責任男との束の間の恋の結果生まれたKEN。しかし彼はマニラの片隅で貧しいながらも確かな母親の愛情を受けて幸せに生きている。そしてフィリピン社会の一員としての人生を確かに歩みだそうとしている。それが実感できて僕はうれしかった。ささやかなディナーの後、僕らはSMの入り口で別れた。

 愚直なまでに真っ正直、精一杯に生きているローナにこれ以上頑張れとは言えない。頭の中では『クーヤ、あなたのメイドにして』と言った彼女の言葉が何度も何度もこだましている。でも僕には何もできない。SMバレンズエラ店から一歩外に出ると、体を射抜くような真夏の日差し、灰色で焼けたゴムのような匂いのする空気、我が物顔にクラクションを鳴らしながら通り過ぎていくジープニー・バスなどの鼓膜が破れんばかりの騒音、どこから沸いて出てくるのかと思うほどたくさんの人の群れ……混沌と喧騒の街、マニラの夏の昼下がりがそこにはあった。
 この巨大都市には、ローナのように日々の生活をかけた戦いをしている人が一体どれだけいるのだろうか? 何ともやるせない思いと自分の無力感に押しつぶされそうになりながら、僕は心の中で「神様。この母子にどうか幸運を」とつぶやきながら、人込みをかき分け帰りのバスに乗り込んだのだった。

(次回から看護学校生・アナリサの物語です)
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by webmag-c | 2006-09-19 19:03 | ローナ8 来日を待ちわびて