「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
カテゴリ:02 アメリカの“制裁”?( 1 )
第2回 フィリピーナとイラクの複雑な関係
 1980年代以降、多くのフィリピーナが来日し、最盛期には6000件とも言われるフィリピンパブが、全国津々浦々で、日本人男性に癒しと憩いを与えながら、隆盛を誇ってきた。芸能人(エンターテイナー)たるフィリピーナの入国も2000年には60,000人を突破、2004年には80,000人を突破した。当然、フィリピンパブから始まる多くの恋物語が国際結婚という形で結実していく。1990年代は年間6,000件前後で推移していた日比カップルの婚姻は2000年代に入ると、毎年7,000件台を超え、2004年には8,600件にも達し、トータルの日比婚姻数も10万組にも達した。フィリピンパブもフィリピンパブ恋愛の行く末にも何のかげりもないように思えた。

 そこに、思わぬ落とし穴が。長引く多国籍軍によるイラク民主化活動の中、フィリピン軍が多国籍軍から脱落した直後に、アメリカ政府は、フィリピン人エンターテイナーの日本における就労が人身売買にあたるのではないか、というクレームをつけてきたのだ。
 アメリカ政府が“人道的見地”から、日本におけるフィリピン人エンターテイナー就労に対してクレームをつけるのは、唐突に思えた。しかし、それをアメリカからの制裁と考えるとつじつまがあうとも言えた。
 つまりこういうことだ。フィリピンは、イラクのフセイン政権制裁に、多国籍軍と一端として加わっていた。アメリカと共同歩調を取っていたわけだが、イラクで出稼ぎをしていた自国の民間人を人質に取られたことから歯車が狂う。人質返還の条件として突きつけられた『軍の撤退』をのんで、フィリピンはイラクから全面撤退したのである。このことに対してアメリカが怒り、制裁を加えたのではないか……こう考えると確かにつじつまが合うのだ。
 裏切り者フィリピンへの制裁手段としてフィリピン人エンターテイナー就労批判をしたという説はそれなりの説得力を持って、今なお多くの人々から信じているのも事実だが、真相は明らかではない。
 かねてからわが国の法務省も、日本国内でダンサーやシンガーとして興行ビザを与えられて就労するタレント(エンターテイナー)が、その資格に見合った技能を持たず、恒常的に資格外労働であるホステスとして接客に従事していること、またペナルティやノルマ、給料の搾取など過酷な条件での労働を強いられていることなどの実態をおおむね把握してきたはずだ。しかし、こうした状況改善のための徹底した違反の摘発や省令改訂などの根本的な措置はほとんど講じてこなかった。事態をほぼ黙認してきたのである。
 だが、最大の盟友アメリカからの指摘を受けて、自発的外交方針のない日本が行動を起こさないわけにはいかない。法務省はただちに本格的行動に出た。省令を改訂。最大のポイントは、ダンサーや歌手としての本来の技能を持たない『名ばかりの芸能人』に対する興行ビザのきびしい発給制限だった。その結果、2004年度、83,000人に達していたエンターテイナーの受け入れは、2005年度には47,000人、なんと前年度56%に、2005年8月以降ではなんと、対前年比20%にまで締め付けられた。タレントを確保できなくなったフィリピンパブは、閉店に追い込まれたり、日本人やロシア人・ルーマニア人・中国人・インドネシア人などを織り交ぜて、やむなくインターナショナルクラブとなるか、日本人配偶者のいるフィリピン人女性などをアルバイトとして雇用し、スナックに鞍替えして生き残りを図っている現状だ。最盛期には6,000軒あったフィリピンパブは、2006年3月現在、3,000軒程度にまで激減したというのが、事情通の大方の見方であり、業界関係者は、フィリピンパブ壊滅の危機というまさに業界の存亡の危機を究めて現実的なものとして日々感じながら、文字通り生き残りをかけて必死の戦いを続けている。
 フィリピーナの魅力に取り憑かれて…(以降は次回に)
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by webmag-c | 2006-07-14 14:24 | 02 アメリカの“制裁”?