「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
カテゴリ:ジャネット7 主婦へ( 1 )
彼女が行き着くのはどこ?(ジャネット第7回)
★日本はもう無理
「最後に君の今後の生き方についてなんだけど、これからどうやって生きていくつもりか話してくれる? このままこのカフェで仕事を続けるか、日本行きを目指すか、それとも他の道を探すか、ということなんだけど」
 彼女はちょっと天井を見上げて一瞬思案した後、答えた。
「ライブバンドが入って好きな音楽があふれていて、踊れて、ビリヤードができて……今の仕事、給料は高くないけど、本当に働いていて楽しいの。それで何とか家族3人の生活も成り立ってるから、このお店を続けられる限り続けてもいいと思ってるの。もちろんもっと条件のいい仕事があればそっちに移るけど。日本行きはできるなら行きたいけど、まともな方法でエンターテイナーとして行くのはもう無理だと思うし、偽装結婚するための頭金もないし、そのために借金するのもいやだし。日本行きはもう無理だと思うわ」
 なるほど、日本帰り組のある人生のモデルとは、踊って、ビリヤードの相手もする援交カフェのウェイトレスというわけか! 幸いジャネットの場合、仕事のすべてが自分の趣味と重なっている。この仕事でなくても、日本での生活で悪しき物質主義に染まっていない彼女は、フィリピンでのシンプルな生活に何の違和感もなく戻れている。彼女なら大丈夫だと僕は思った。あとは家族に事故や大病が降りかからないように、そして彼女が素敵な伴侶を見つけて女性として幸せな人生を送れるように祈るのみだ。僕は薄暗いカフェの中でささやかだが明るい未来を垣間見てすがすがしい気分だった。
「ジャネット、今日は本当にありがとう。これからも元気で頑張ってね。また来年フィリピンに来るけど、またこの店で会えるかな?」
「ええ、よほどことがない限りこの店にいるわ」
 さあ、彼女に謝礼の話はしていないのだがやはり他のインタビューに応じてくれた女性たち同様に500ペソを渡さなければと思い、ジャネットにさりげなく
「これインタビューのお礼だよ。ありがとう」
 と渡そうとしたが、彼女はかたくなに受け取ってくれない。彼女なりのこだわりやプライドがあるのだろうと思い、僕は不本意ながら500ペソ札を財布に戻した。
「じゃ、本当にありがとう。また来年、ここで会おうね。ただ、今度ビリヤードをやる時は一度くらい僕に勝たせてね」
「ありがとうクーヤ。楽しかったわ。でも来年あった時に私が負けるかどうかはわからないわ。だって私はゲームが始まると真剣になって人が変わっちゃうんだから」
 確かにそのとおりだ。いつもは柔和な彼女の表情がひとたびキューを握ると獲物を狙う野獣の形相に変身してしまうのだから。僕は苦笑いしながらカフェを出ようとした。
 
★最後のサプライズ
 出入り口の扉に手をかけたまさにその時、
「クーヤ、ちょっと待って。話さなきゃいけないことがあるの」
 と僕を呼び止める叫ぶような声がしてあわてて僕は振り返った。そこにはバツの悪そうな顔をしたジャネットが立っていた。
「話って何? 僕は何か君を傷つけるようなことを言ったかな?」
 僕は自分がかなりプライベートなことを聞いてしまったことへの引け目のようなものを急に感じて、彼女から何か叱責や怒りの言葉を浴びせられるのかもしれないと思い、そんな言葉も甘んじて受ける心の準備をしていた。しかし彼女は、照れくさそうな笑顔を浮かべている。戸惑っている僕にジャネットは言った。
「クーヤに秘密にしてたことがあるの。静かなさっきのテーブル席に戻って話しましょう」
「そうなのかい? ああ、喜んで君の秘密の話を聞かせてもらうよ」
 と言いながら、僕は安堵とともに彼女の秘密に対する興味が急速に頭の中に広がっていくのを感じていた。
 
★主婦へ
「クーヤ、これから言うこと絶対誰にも言わないって約束してくれる? 2ヶ月間だけでいいの。どう、約束してくれる? クーヤはいい人だと思うから約束してくれるなら話すわ」
「ああ、約束する。2ヶ月間だけ誰にも言わなければいいんだね? その後は原稿にしてもいいんだね?」
 彼女はうなずいた。
 彼女が口止めしてまで語ろうとしている秘密とはどんな秘密なんだろう? また、ジャネットがタバコを1本取り出してすばやくライターで火をつけ、ひとふかししてから話した。
「私、今妊娠3ヶ月なの」
「えっ、本当?」
 このカフェのウェイトレスたちはお腹がプクッとした女の子が多いのだが、ジャネットの場合はちょっと贅肉がついているだけかと思っていた。確かに少し驚いた。妊娠にも本人が望んだ結果の妊娠と不注意でそうなってしまった後悔を伴う妊娠の2種類がある。彼女の場合はどちらなのか? 僕はどう聞いたらよいか、考えていると、彼女が続きを話してくれた。
「私、去年の11月にこのお店で知り合った中国人のボーイフレンドがいて、先月妊娠していることに気がついたの。妊娠のことを彼に伝えたらすぐにお店に来てくれて、『結婚しよう』って言ってくれたの。私はすぐにうなずいたわ。それでおととい、彼の両親に紹介されたの。彼のお父さんは貿易会社を営んでいて、彼はその会社を手伝っているの。ビノンド(マニラ市のチャイナタウン)にある彼の家はものすごく立派な家だった。そこで居間みたいなところに通されて『あなたを私の息子の嫁として認めます。これからは私たちの娘として大切にします』って彼のお父さんが言ってくれたの。フィリピン人だからといって私をバカにすることもなく、すごく大事にされてる感じだったわ。彼の兄弟たちも笑顔で『こんにちは』ってタガログ語であいさつしてくれたの」
 普通フィリピンに在住する上流階級の中国人はフィリピン人の血を混ぜずに、中国人としての純血を守る一族が多い。しかし、両親が出てきてそこまで言ってくれたからにはジャネットを本気で嫁に迎えるつもりなんではないかと思った。と言うことは……
「そうなの。まだ結婚式の日取りは正式には決まっていないけど、私たち結婚するの。だから私のジャパユキ・ストーリーはもうおしまいなの。秘密って言うより、うそをついちゃったみたいでごめんなさい」
「いいんだよ。そんなこと。それより、話してくれてありがとう。でもなんで2ヶ月だけ秘密にしなきゃいけないの?」
 僕は彼女の幸せを自分の幸せのように感じながら尋ねた。
「それはね。私が妊娠してることがお店にばれたらすぐ首になっちゃうからよ。働ける間は、少しでも長く働いてお金をためたいの」
 本当に彼女は勤勉だなと思いながら、もうひとつ心に浮かんだ疑問をそのまま彼女にぶつけてみた。
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by webmag-c | 2006-10-31 23:42 | ジャネット7 主婦へ