午前12時少し前、僕は本当に来るのかなあ、と半分以上の疑念を抱きながら彼女を待った。15分が過ぎ、駄目か、と思った矢先
「コンニチワ アリガト」とTシャツにジーンズ姿の彼女が元気よく目の前に飛び出してきた。シュンとしかけていた心がにわかに活気づく。結局、その晩はディスコ、ボーリング、ショット・バー、レストランとはしごして、最後は大久保のホテル外の一角にある雑居アパートに彼女を送り届けてバイバイ。ドア口で別れ際、彼女は目にも止まらぬ早業で僕の唇にキスしたかと思うと、
「ネキスト タイム イツスル?」
と尋ねられ、とっさに
「トモロー オミセオワリ 12ジ OK?」
と応えた。彼女はまたにっこり微笑んで「OK」と応えたかと思うとまたしても目にもとまらぬ早業で僕の唇にキスし、バタンとあっという間にアパートの自室に消えていった。
彼女が振り向きざまに行った言葉
「アナタ ワタシノ オニイサン ミタイ」
その一言が、兄弟のいない私にとっては、くすぐったく、またとてもうれしかった。28歳にして、南の島から来た褐色の肌の妹ができたのがとてもうれしかったのだ。
それから約2ヶ月、リリーを中心にした、僕にとっては不思議な、しかしときめきに満ちた生活が続いた。
午前零時15分、彼女の店の裏口で待ち合わせ、あとはお決まりのコースで遊び、午前7時にアパートへ。そしてそれから自宅に帰って朝食、一睡もせずに会社に行って、目を開けて眠り、時間をやり過ごし、午後5時45分の会社の終業時間で飛び出すように帰宅の途へ。
午後7時前後に夕食を済ますと午後11時まで仮眠、午後11時タイマーの音で勢いよく飛び起きてシャワーを浴びて、おしゃれな服に着替えて11:45に自宅を出発。午前零時15分に彼女の店の裏口での待ち合わせから始まるデートへとなだれ込んでいった。
もともと眠りが浅く、一日8時間は眠らないと調子が悪い自分には結構このくらしのリズムはつらかった。しかし、20代の若さと回復力、彼女への愛情、理屈抜きの楽しさが、こんな無茶苦茶な暮らしを支えてくれた。
そんな「交際」が始まって1ヵ月半、真夜中のデートを終えて彼女をアパートまで送り届ける途中、強い通り雨にあった。僕は彼女が濡れないように、自分のジャケットを脱いで彼女の小さな体をくるむように包んで足速にアパートに送り届けた
。日曜の朝で、僕はビショビショの雨をぬぐうこともなく、着替えもせずにベッドに崩れこんでしまった。
翌日からその報いが容赦なく僕を襲った。
扁桃腺炎になって、のどは腫れ上がり、水を飲むことすらままならない。1週間も40度以上の高熱にうなされ、病床に屈した。バファリンを砕いて何とか飲み込んではのどの腫れを引かせ、一時的に熱を下げ、流動食を取って最低限の体力維持。
リリーはその間も1日に20回以上は電話をかけてきた。声も出ない、出たとしても状況を説明できない。
結局、僕が病床にあるまま、彼女は6ヶ月間の「芸能人」としての勤めを終えて帰国。帰りの日、成田に行くという約束を果たせなかったのが心残りだった。リリーは、僕が約束を守らなかった、「何てうそつきなやつ」と思っていたに違いない。そう思うと悔しくてしかたなかった。
リリーの帰国後、すぐに彼女にもらったマニラ市内の電話番号をダイヤルしてみた。いろんな女性が電話口に出たが、何を言っているかわからない。
「リリー プリーズ」、「リリー プリーズ」と連呼してみたが、結局本人にはたどり着けず、電話を切られてしまう。そんな繰り返しだった。
リリーから電話も手紙も来なかった。こうして、激しく熱く燃えた期間限定の恋は2ヶ月で終わったかに思えた。
(以降は次回に)