「ほっ」と。キャンペーン
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
カテゴリ:ジョイ3 再会は無理?( 1 )
再会は無理?(ジョイ第3回)
 「もう何年くらいビリヤードやってるの?」
 「7歳の時お父さんに誘われて始めてからかな」
 ジョイは平然と答えた。
 20歳にして13年のキャリア。日本なら7歳でビリヤードのキューを手にする女の子などまずお目にかかることはないだろう。しかし、ビリヤードの世界チャンピオンを次々と輩出するこの国では、そんな子供はちっとも珍しくない。それだけビリヤードはこの国に広く浸透したスポーツなのだ。僕は日比の文化の違いを感じてただ苦笑いするしかなかった。そう言えば彼女がタバコを吸い始めたのも7歳だったっけ。ただ、こちらはスラムの児童喫煙を助長する深刻な問題であり、笑って済ますわけにはいかない。それはさておき本題のインタビューの約束だけでも取り付けておかなければ。
 「本当は今日、君の話を聞きたかったんだけど、今度会う時は協力してくれるって約束してくれたよね。いつならいい?」
 「明日は、日本からゲストが来るんで、あさってならどう? あなた携帯あるならテキストするわ」
 「あさっての何時?」
 「ゲスト次第だからなんとも言えないけど、必ずテキストするわ」
 と言うやいなや、彼女は自分の右手の薬指を僕の右手の薬指に絡めて指きりをしてきた。
 僕が彼女に携帯電話番号を教えると、彼女は無造作に自分の携帯電話にインプットした。
 「じゃ、もっと稼がないといけないからLAに戻るわ」
 「さよなら。連絡待ってるよ」
 という僕の言葉に彼女は振り返りもせず、背中で聞きながら後手に手を振って小走りにLAに帰って行った。こんな風に『また今度ね』と言って女性たちと別れた時、再会できたためしがない。今回の取材の経験から、僕は十中八九もう二度と彼女から連絡をもらうことはないだろうとあきらめていた。それでも心のどこかで再会の日が来るのを期待せずにはいられなかった。このままインタビューができなかったら、連れ出し料としての1500ペソの彼女への支払い、日本レストランでの支払い700ペソ、600ペソのビリヤード場での支払い、賭けの負け分450ペソなど3000ペソ以上の出費もさることながら、それ以上に限られたフィリピン滞在時間の中で費やした時間のすべてが無駄になってしまうからだ。それだけに何とかインタビューに漕ぎつけたい。彼女の電話番号も聞いたが、彼女がインタビューに応じる気がなければしつこく追い回せば追い回すほど、彼女は遠ざかって行くだろう。彼女がその気になってくれるように僕は祈るばかりだった。
 ただ、もしかしたら彼女を再度きちんとインタビューできるかもしれない展開になって、携帯電話をすぐに買い直しておいてよかったと思った。あとは指きりの約束を信じて連絡を待つだけだ。

★アクシデント~携帯電話が盗まれた
 実は、旧友リセルのインタビューが終わった直後、僕は憩いの場となっていたもうひとつの援助交際カフェAに直行していた。リセルとの思わぬ再会が非常に切なく、気晴らしが必要だったのだ。夜7時過ぎに店に入った僕は、サンドイッチをほうばり、サンミゲールライトを何本か空けながら、この店のウェイトレスで夜11時に出勤予定のビリヤード友だちのメアリーを待った。メアリーは11時10分前にTシャツにジーンズといったいつもの姿で店に現れ、僕に気がつくとニコッと笑って2階のスタッフルームに消えた。彼女はすぐに白いセーラー服のユニフォームに着替えて戻ってきた。
 「やる?」
 メアリーはキューを持って突くふりをしながら言った。
 「シイェームプレ イッツ マイ プレジャー(もちろん、喜んで)」
 と僕は答えた。それから7時間、翌朝の6時くらいまで僕とメアリーは、お客のいない2階のビリヤード台でワーワーギャーギャーいいながら、お遊びビリヤードを楽しんだ。
 本来なら彼女の勤務時間の7時まで付き合うところだが、朝の6時頃急な眠気に襲われ、その日は家に帰らせてもらうことにした。
 帰りは、ジープで二乗り、勝手知ったる通勤(?)コースだ。それでも油断は禁物、ジープの中にもスリや強盗が頻繁に出没するからだ。
 僕は最初に通りかかった自宅方面行きのジープに乗った。乗客は誰もいない。『他に客がいないから万一眠っても大丈夫だな。これはいいや』と思って前方の運転手の隣に座った。しかし、ジープが少し走ったところで学生風のこざっぱりした身なりの若者が乗ってきた。そして彼は、誰も座っていない後部座席ではなく、わざわざ僕が座っている前部座席に『エクスキュース』と言いながら乗り込んできた。
 うさんくさい。普段なら、僕はそこで降りて自分が後部座席に移るなどの対策を取るのだが、その日は眠気に絶えられず、隣に座った不審な若者のことなどお構いなく、束の間の甘い眠りに落ちてしまった。ジープの終点で運転手に起こされた僕は、何気なくジッパーつきの右ポケットをまさぐったら、ジッパーが開いているではないか! 眠気が一気に吹き飛んだ。ポケットに手を突っ込んでみたら、そこに入れていたはずの携帯電話がない。
 「やられた!」
 思わずつぶやいたがあとの祭りだった。フィリピンを行き来するようになって16年、初めて携帯電話を盗まれてしまった時のことだ。
 フィリピンは所得水準に比べてものすごく携帯電話本体の料金が高い。新品だと最低でも2700ペソくらい。これはマニラ首都圏の法定最低賃金275ペソ(2006年6月3日現在)のほぼ10日分だ。しかし実際には法定最低賃金以下の給料で働いている労働者もたくさんいる。さらに注目すべきは利用者のほとんどがプリペイドタイプを使っていることだ。防犯登録などないから携帯電話の譲渡も自由自在。だからこそ、全土で中古携帯電話のマーケットは大きく、携帯電話専門の窃盗団もいるほどだ。当然被害者も多い。実際、私のフィリピン在住の知人・友人でも、日本人・フィリピン人全部含めて携帯電話盗難の被害にあったことのないのは自分だけであり、僕はそれをひそかな自慢にしていたのだった。
 悔しかった。しかし、それ以上にすでにインタビューし終わった相手の電話番号などのデータを失ったことの方が痛かった。先方から連絡を受けない限り、こちらからは二度と連絡が取れなくなってしまったからだ。しかし、事件から数日後、公証役場事務所と警察に出向いて事故報告書を書いてもらったおかげで1年前に買った携帯電話の購入額の85%を取り戻すこともでき、自分自身にとっては安全・危機管理の基礎の再確認、また情報保存のあり方への警鐘という意味ではいい教訓になった。
 それ以降、『携帯電話は常に盗まれる可能性のあるもの』という前提で、教えてもらった電話番号は、すぐにアドレスノートに転記し、同時にコンピューターにも入力保存するようになった。
[PR]
by webmag-c | 2007-01-11 00:33 | ジョイ3 再会は無理?