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「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
15歳でシングルマザーに(ジョイ第5回)
★LAカフェまでの道のり
 「現実を受け入れるしかないという気持ちだわ。大家族の生活費を稼ぐために必死で働いて、稼いだお金はほとんど全部お母さんに渡して、自分は飢え死にしない程度に食べて。そんな感じ」
 今の暮らしぶりについて聞いた時のジョイの言葉だ。17歳の女の子にしてはシビア過ぎる。一家を一身に背負っている切迫感がびんびんと伝わってくる。淡々とした語りを聞きながら、彼女の背後に大勢の家族の影が見えるように気がした。僕が彼女の言葉の重みをかみ締めている間もジョイは語り続けた。
 「日本から帰国する前に、もう二度と日本に戻って来れることはないって仲間と話をしてたんで、『フィリピンに帰ってから仕事をどうしようか?』っていうことばかり考えてたわ。高校中退の私に大家族を養っていくためには他の選択肢なんてないわ。それでフィリピンに帰国する前からダンサーに戻ろうと思ってたの。でもLAならお客さんはいつも多いし、踊らなくてもすむし、仕事が楽だって聞いてたんで、すぐLAでフリーのホステスになろうと思ってたの」
 彼女は『ダンサーに戻る』と言った。と言うことは来日前からクラブなどで踊っては客を取っていたということだ。
 「『ダンサーに戻ろうと思った』って言ったけど、日本に行く前からクラブとかでダンサーしてお客も取ってたの?」
 「ええそうよ。14歳で高校を中退してまともな仕事を探してもすべて門前払い。できる仕事と言ったらサリサリストア(雑貨店)の店員とか、近所の食堂のウェイトレスくらい」
 そう、学歴偏重社会のフィリピンでは、高校卒業でも安定した高収入の仕事につくのは難しい。まして高校中退となるとなおさらだ。ちなみにフィリピンの学校制度は、小学校が6年、その次が高校で4年、その後が大学で通常4年である。日本式に言えば6-4-4制である。義務教育は小学校の6年間だけだ。経済的理由などで学業を中断せずにストレートで進学できた場合、小学校1年で満年齢7歳になるのは日本と同じだが、中学校がないため、日本で言えば中学入学の年、すなわち満13歳になる年に高校生になり、高校卒業の年に16歳、大学入学の年に16歳になり、大学卒業年次に20歳になるということになる。ジョイの場合は14歳、高校2年の時に中退したというわけだ。
 サリサリストアの店員や一般食堂のウェイトレスでは自分ひとり生きていくのがやっとのはずだ。
 「1ヶ月1000ペソや1500ペソの給料じゃ、いくら三食食事つきでも、家族を養っていくどころか、自分ひとりだって満足に生きていけないわ。家から少し離れたレストランに住み込みで働いてた時は、朝の5時から夜の10時まで働きづめに働いて休みは月に二日だけよ。仕事が終わったら洗濯やら後片付けやらで自分の時間もまるでなし。家族とも疎遠になっちゃったわ」
 「給料が安い割りにずいぶんとこき使われてたんだね」
 僕はジョイへの同情を禁じ得なかった。
 「そうでしょ。半年間働いたけどバカバカしくなっちゃって、ダンサーになろうって思いついたの。外国人相手なら1日に何千ペソって稼げるって聞いてたし。それで家族を養っていくためにクラブMでダンサーとして働き始めたの。全裸で踊って1日で800ペソよ。それにお客からドリンクをもらえればバックが100ペソ。お客さんに連れ出されなくても1日1000ペソ~1500ペソは確実に稼げたわ」
 食堂での給料1か月分が、ちょっとした決心次第で1日で稼げてしまう。でも地味な食堂のウェイトレスが、いきなり全裸で踊り、お客に連れ出されることに抵抗はなかったのだろうか?
 「もちろん、始めはものすごく抵抗があったわ。薄暗いステージに上って何十人ていうスケベな酔っ払いたちの視線を一身に感じるだけで緊張したし、虫唾が走るような気がしたわ。でも私には家族を助けるための他の選択肢はなかったの。それからだんだん大勢に男たちの前で踊ることも裸になることにも何も感じなくなっていった。そして時々お客さんに連れ出されたわ。最初に私を連れ出したのが40代の韓国人。とてもやさしくてすぐ彼のことを好きになったの。彼が私の初めての男性よ。知り合ってすぐ彼のコンドミニアム(豪華マンション)で同棲し始めて、一ヵ月間そこに住んでたの。一時は将来結婚することも考えたわ。彼は毎日お店で稼ぐのと同じくらいのおこづかいをくれだけど、私を独占しようとしたり、無理に仕事をやめさせようとはしなかった。それでも私は彼が好きだったから、お店に出ても他のお客の連れ出し希望は全部断って自分なりに愛情表現したり、いろいろ努力もしたんだけど、彼にとってはただの遊びだったのね。すぐに飽きられてあっという間に捨てられちゃった。Mで働いてると彼とよく顔を合わせて気まずい思いをしたから、気分を変えようと思ってOっていう他のクラブに移ったの。Oでは4ヶ月踊ってたわ。Oでは全裸じゃなくてパンティとブラジャーはつけたままよ。踊るだけだと500ペソだけど、お客さんに連れ出される回数は増えたから結果的に稼ぎは増えたわ」
 彼女は自分の来日前の過去について淡々と話してくれた。
 「Oに勤め始めてからすぐに妊娠してることに気がついたの。もちろん同棲してた韓国人の子供よ。出産費用くらいは彼に面倒見てもらおうと思って連絡してみたけど、携帯電話はもう使われていないし、彼の住んでたコンドミニアムに行ってみたらもう他の外国人が住んでた。それでお腹が大きくなって、お店のマネージャーから『出産するまで仕事を休め』って言われるまで仕事を続けたわ。そして翌年、2004年の5月に出産したの」
 クラブのダンサーと外国人客、束の間の恋の結末は聞くまでもなく明らかに思えたが、ジョイは元カレに対していささか未練があるように話した。
 「それで15歳でシングルマザーよ。彼のことが好きだったから後悔はしてないけど、妊娠・出産で生活がますます苦しくなったわ」
 出産のとき彼女は何を思ったのだろう?
 「お父さん・お母さんを助けようと思って仕事を始めたのにかえって迷惑かけちゃって自分が情けなかったわ」
 家族のための自己犠牲を当たり前のことだと考える彼女の言葉を聞きながら、そのけなげさに胸打たれるとともに、家計の担い手としての強い自負心を持って年齢には不相応な壮絶な人生経験を重ねてきたからこそちょっとやそっとでは揺るがない心の強さを身につけたのだと僕は思った。
 いずれにせよ彼女の場合は売春婦が一時たまたまジャパユキとなり、また元のフィールドに戻ったのだった。

 14歳にして全裸で踊るダンサー、そして売春婦としてのデビュー、15歳でシングルマザーに……淡々と語るジョイの過去は、僕にとってはかなり衝撃的なものだった。
 今の暮らしぶりを聞いたつもりが彼女の話が脱線したおかげで、彼女がLAカフェのフリーのホステスになるまでの道のりはよくわかった。しかし、そんな彼女を両親はどう見ているのだろう? 当然仕事の中身のことは両親が知っているはすがないと僕は思っていた。
 「君の仕事については、ご両親は知らないよね?」
 僕の問いに対して彼女は一瞬苦笑いを浮かべてから答えた。
 「初めてクラブMでダンサーの仕事を始めた時は、『ジャパニーズ・カラオケで働いていて、ものすごいお金持ちのお客さんに気に入られていつもたくさんチップをくれるの』って嘘をついていたんだけど、韓国人のボーイフレンドとの間に子供ができて、おかしいじゃないかって言うことになって、厳しく問い詰められて本当のことを洗いざらい話しちゃったの。私が売春してるって初めて知った時、お母さんはヒステリックに泣きわめいて、お父さんからはひっぱたかれるし、それは大騒ぎだったわ。でも二人とも少し落ち着いたら、『家族のために、お前にこんなことまでさせてごめんね』って言ってお母さんもお父さんも理解してくれたわ。それで今は両親公認で仕事してるわ。兄弟たちは知らないけどね。ただ、お父さんとお母さんには『病気だけは気をつけて』って言われてるわ」
 娘の仕事をわかっていて送り出すジョイの両親のやるせなさ・つらさを考えると胸が詰まる思いだった。
 ジョイのようなホステスがマニラだけでも数万人、フィリピン全土で数十万人はいるだろう。そのほとんどが、家計の担い手としての強い自負心と責任感から、心ならずも売春という仕事に従事しながら、仕事の中身については家族に苦しい嘘をつき、後ろめたさを胸に秘めながら働いている。しかしジョイの場合、少なくとも両親に対してだけは後ろめたさを感じることなく仕事に専念できていることに、僕は少しだけ気持ちが救われたような気がした。

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# by webmag-c | 2007-01-16 02:30 | ジョイ5 15歳で母になる