今、2006年3月13日深夜、僕は1人マニラ空港の到着ロビーにたたずんでいる。
いつもの旅とは違う。読者に安らぎを提供する旅行会話集執筆の取材旅行でも休暇でもない。
予想だにできない新しい人生との出会いを求めての旅だ。初めてのノンフィクションへの挑戦。思わず身震いするような興奮と恐れ、そして自らの原点を訪れる懐かしさの入り混じった不思議な感情に僕は包まれていた。
昨年の10月のことだった。
以前は毎日のように通いつめていた地元のフィリピンパブが急に恋しくなり、しばらくぶりに行ってみようと思い立った。僕の地元では、同じオーナーが4軒のフィリピンパブを経営している。どの店も女の子たちは粒ぞろいで、大型店か小型店か、とか料金体系が若干違っている程度の違いである。どの店に入っても外れなく楽しめるのはわかっていた。ほんの数カ月前楽しく遊んだことを思い出して、どの店にしようか、店内の様子や華やいだお店の雰囲気に思いをめぐらせながら、懐具合と相談して、一番料金設定の安い小箱の店に行くことに決めた。しかし、そのパブの入った雑居ビルの懐かしい入り口に立つと閉店の看板が……。
入管法の改正で、新しいタレントが入国できなくなり、閉店したり、やむなくフィリピン人以外の外国人を入れてインターナショナルクラブに転身するなど、フィリピンパブ業界は非常にきびしい状況だとは聞いていたが、こんなところにもその影響が出ているのかと実感した。その瞬間、いやな予感が走った。もしかしたら他の店も……。
予感は的中。残る3軒のうちの2軒が閉店。営業した1店もロシアンパブに変身していた。ロシア人に何の偏見もない。ただ、おしゃべりや酒・カラオケのお相手として、僕の心の中でロシア人にはフィリピン人の代わりはできなかった。
夜な夜な他愛もないおしゃべりと、カラオケで遊び明かした日々が遠い昔のように思えてさびしかった。
フィリピンパブがここまできびしい状況に追い込まれているのを初めて実感した出来事だった。
しかし、何より気にかかったのは、僕らに束の間の安らぎと楽しい時間を提供してくれた彼女たち、そう、エンターテイナーたちが、今どこでどうしているのだろうか、ということだった。そして頭の片隅で、僕とフィリピン、いやフィリピーナとの出会いの原点、リリーというエンターテイナーの面影が、昨日の出来事のようにリアルに脳裏をよぎったのである。
1980年代以降、多くのフィリピーナが……(以下次回)