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「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者白野慎也が追う渾身のノンフィクション
フィリピン人エンターテイナーの入国が、厳しく抑えられるようになって1年余り。
全国のフィリピンパブが、どんどん消えつつある。
歌に、踊りに、ショーに、つかの間の癒しを与えてくれた天使たちは今どこで、何をしているのだろうか? 
「旅の指さし会話帳フィリピン」の著者・白野慎也が、フィリピーナの“その後の人生”を追いかける、衝撃のレポート。
ビールハウスのメッカで人探し
今回から、ビールハウスで働くレイチェル(来日経験1回、21歳)の物語です。

        ★      ★

★場末の歓楽街
「クーヤ、遊んでってよ。私が天国に連れて行ってあげるから」
 ビールハウスのメッカ、マニラ首都圏南部のパラニャーケ市バクララン地区のエアポートロードという通りで目指すインタビュー相手のいる店を探してキョロキョロしながら歩いていると、Tシャツにショーツ姿の女の子たちに腕をつかまれてものすごい力で彼女たちの店に引きずり込まれそうになる。外国人観光客の多いマニラやパサイ、マカティ、ケソンシティの風俗店の女性たちとは違ってみんなどこか垢抜けず、本当に地元の男たちの遊び場に踏み込んできたんだなという実感が改めてこみ上げてくる。
「ごめんね。僕はまだ君と一緒に天に召されるわけにはいかないんだ。彼女を悲しませたくないからね。僕は今の彼女一筋だから」
 などといい加減なことを言いながら、僕は強烈な誘惑からさらりと身をかわし続けた。
 彼女たち一人一人にドラマがあることはよくわかっている。その一つ一つに興味はある。しかしそれは今日の目的ではない。僕が目指すのはPという店で働く昨年まで日本でエンターテイナーの仕事をしていた女性である。
 このエアポートロードという一角、洗練された都会的な名前とは裏腹に安っぽいチューブネオンやサンミゲールビールの看板を掲げたビールハウスやKTVというカラオケレストランが軒を連ねる場末の歓楽街で、あやしい活気を放っている。すりや強盗・殺人など犯罪も多く、観光客はほとんど足を踏み入れない。

 僕がかつてマニラに長期滞在していた時、息抜きで家の近くのビールハウスに時々通っていた。ビールハウスとは、文字通りビールを飲んで、連れや店の女の子とのおしゃべりを楽しむ飲み屋である。通常飲み物はビール以外ほとんどおいておらず、おつまみもピーナッツ程度しかない店も多い。そんなシンプルなフィリピン人男性のための娯楽の場なのだ。雑貨店とほとんど変わらない値段でビールを飲むことができ、話し相手がほしければ、店にいる好みの女の子を呼んで一緒に飲みながら取り留めのない話に興じたり、カラオケを楽しむこともできる。カラオケはたいてい無料だ。ビールハウスの女性たちは、ゴーゴーバーなどと違って売春婦ではないから、お金を払って即連れ出しというわけには行かない店がほとんどだ。ただ、通い続けるうちに恋仲になってしまえば深い関係になるのは難しくないようだ。また、ビールハウスの中にも、VIPルームという特別室があって、そこでエッチなサービスを受けられる店もある。それだけにビールハウスの女性たちは、一般のフィリピン人からは「尻軽女」「身持ちの悪い女」「安っぽい女」など蔑視の目で見られている。
 そんなビールハウスでも以前から日本帰り組の女性とめぐり会うことがよくあった。彼女たちは再度の日本行きを待つわずかな間、少しでも稼ごうと寸暇を惜しんで働いていた。中には僕が日本人だとわかると、すぐに売春話を持ち出して誘ってくることもあった。だからこそ、エンターテイナーとしての再来日が極めて困難な現在、本国での当面の生き方の一例として、ビールハウスで働く元ジャパユキも取材対象としてはずせないと思っていた。そして僕は、マニラの夜のさらに深部に身を沈めた元ジャパユキの姿を求めて場末のビールハウスのメッカを回ってみることにしたのだ。

★出会いのエアポートロード
 今回目指すP店には、『昨年法律改正後に日本から戻ってきたばかりの女性がいる』という情報提供を事前に日本人のメディア関係者から受けていた。拍子抜けするほどあっけなく、見つけ出すことができたこの店で、早速マネージャーに昨年日本から帰ったばかりの女の子がいるかどうか尋ねたところ、すぐに目指すターゲットにたどり着くことができた。
 僕は、まずは彼女にビールを何本かふるまって一緒にカラオケでも楽しみながら少しでも親交を深めておきたかった。
「今つれてきますから、ちょっとここにかけてお待ちください」
 とマネージャーに促されるままに薄暗い店内の片隅のテーブル席に腰掛ける。ふとボロボロのテーブルクロスに目が行った。ライターの火で焦げたのかゴキブリがかじったのか、あちこち穴だらけだ。いつに変わらぬビールハウスの風情に僕はなぜか安らぎを感じた。客のいない店の中をあちこち見回しているとすぐに彼女は現れた。
「コンニチハ レイチェル デス ヨロシクオネガイシマース」
 レイチェルは僕が日本人だと聞かされていたのか日本語で話しかけ、日本のフィリピンパブで行われているように握手を求めてきた。もちろん僕は笑顔で応じた。
 さっそく、ビールを注文した。すぐに彼女には会いに来た意図を説明した。それに加えて彼女にはまず確認しておかなければならないことがある。
「君が最後の来日から帰国したのはいつ?」
「2005年の5月よ」
 提供された情報どおりだ。まだ、帰国後1年。それから1年近くの待機。まさに法律改正の犠牲者だ。僕はすぐにインタビューを依頼し、OKの返事をもらった。
by webmag-c | 2006-11-08 16:54 | レイチェル1 ビールハウスで