今回から、マニラの援助交際カフェ、LAカフェで働くリセル(26歳)の物語です。
★夢
「リリー!!」
リリー、それは僕がはじめて本気で愛したフィリピーナ。そしておそらく初めて本当の愛を教えてくれた女性。その彼女が、17年ぶりに純白のウェディングドレスに身を包んでフワーッと目の前に現れ、ニコッと微笑んだかと思った途端、あっという間に消えてしまったのだ。大声で叫びながら彼女を追いかけた僕は、大きく寝返りを打ったためか、ベッドから転げ落ちてその痛みですぐ目を覚ました。
LAカフェに通いつめていたある日の夜、僕は浅い眠りの中で、いつ完治するともわからないフィリピン熱中症のきっかけになったリリーの夢を見たのだった。
僕はよく夢を見る。そして僕が昔懐かしい人の夢を見ると、その翌日には、夢で見かけた本人や、その家族など、本人にとても近しい人に出会う。そんなことが何度かあった。
今から17年前、リリーとの別れの直後、彼女の仕事場の同僚が「リリーはエルミタのゴーゴーバーのダンサーだったのよ」と言った言葉が頭をよぎる。僕は今回の取材とは別に自分の原点、リリーとの運命の再会に期待を膨らませていた。
当時17歳だった彼女も現在34歳。現役で何とかがんばっているか、一線を退いてバーやカラオケのママさんかポンビキなどに納まって、この狭くて広いエルミタのどこかにいる可能性はある。
突然、携帯が鳴った。胸の鼓動がにわかに高まった。
「あんたの探してた娘が見つかったよ。今LAで引き止めてるから早く来てよ」
人探しを依頼していたジョシーからの電話だった。最低限の用件だけ言うとブチッと携帯は切れた。僕はあわててアパートを飛び出した。思いがけない再会への予感をも抱いてLAカフェ方面に向かう僕の足取りはいつもより軽かった。
★なつかしのあの娘
「クーヤ、シバラク ゲンキ ココデ ナニシテルノ?」
ポンビキのジョシーに紹介された日本帰りの女の子は、なんと古い顔見知りだった。しかも僕がひそかに思いを寄せていたあの娘だった。
ここは援助交際カフェとして、マニラ・ランデブーと並んで世界にその名をはせるLAカフェ店内の一角。そんなまさか!! あの娘がこんなところで働いているわけがない。僕は一瞬、信じられず、ぽかんと口を開けたままボーっとしてしまった。
「これがあんたの探してた去年日本から帰ったばかりの娘だよ。もうかれこれ半年以上ここに出入りしてるよ」
とポンビキのジョシーが言った。それでも僕はまだ信じられない。ぺちゃんこの鼻、人のよさそうなたれた目尻、大きくて黒くまん丸な瞳、間違いなく僕の旧友のあの娘に間違いない。しかし名前が出てこない。ちょっと考えてようやく思い出した。
「あっ、そーだ君はリセルだね」
「ええ、そうよ」
リセルはうつむき加減で照れくさそうに答えた。
「本当にこのお店に出入りしてお客を取ってるの?」
「ええ」
リセルは消え入りそうな声で答えた。
僕らの間に沈黙が流れた。今回の取材では初めての顔見知りとの再会。昨晩の夢はこの再会劇の前触れだったのだろうか? しかしこんなところで会いたくはなかった。僕の知っているリセルは、うぶなファースト・タイマーだ。それが今一人のホステス(売春婦)として僕の前に立っている。彼女との日本での出会い、いっしょに過ごした時間、いろいろな光景などが、かすかな感傷と心の痛みとともに、一瞬のうちに脳裏を駆け巡り、僕は混乱の中で言葉を失っていた。
「ジャ トモダチ モンダイナイネ」
僕の気持ちなどお構いなしで、ジョシーはさっさと紹介料を受け取ろうと僕の目の前にしわっぽい手を差し出してきた。
「ありがとう。これがお礼だ」
僕は約束の紹介料500ペソを目立たぬようにジョシーの手のひらにねじ込むように渡すと、彼女は、
「ありがとね。またなんか用が会ったら遠慮なく声かけてね」
というが早いか、すぐに次のターゲットを求めて仕事に戻っていった。
★一筋縄ではいかない人探し
そう、ジョシーはここLAカフェを主な仕事場にするポンビキだ。しわっぽい顔に厚化粧。5年前までは現役のホステスだったと言うが今はその美貌の見る影すらない。ポンビキと言っても自分が直接スカウトして手がけ、紹介できる女の子を抱えているわけではない。一夜の女の子を探す外国人男性と、客を探すフリーの女の子たちのつなぎ役として、何かにかこつけて会話に割り込んで、即席カップルを誕生させ、男性客から1率300ペソの手数料をせしめるというのが彼女の仕事だ。たくさんカップリングさせればさせるほど、比例的に身入りはよくなるというわけだ。
世界的に名の通った援交カフェLAにも、元ジャパユキが再就職先しているかもしれない。そこで僕は、毎日のようにここに通いつめ、女の子たちやポンビキたちに片っ端から声をかけた。ポンビキたちは、若い売春婦たちを集めては、
「あんたたちの中で、日本に行ったことのあるコはいない?」
と全員に声をかける。何人かが名乗り出る。
「私仕事したことあるわ」
そして僕が確認の質問をする。
「最後に日本から帰ってきたのはいつ?」
「1999年よ」
「私は2003年よ」
今回の取材に趣旨から言うと、少々昔すぎると言わざるを得ない人たちだ。フーッ、残念!! 思わずため息が出る。底引き網のように女の子たちには片っ端から声をかけ、そこそこターゲットに近づくが、「これだ」という人にはたどり着けない日々が続く。躍起になって元ジャパユキを探す僕の姿を見て、「去年日本から帰ってきたばかりの友達がいる」という確信情報をくれる女の子もいたが、あいにくその子はすでに仕事をやめて田舎に帰った、というように2005年3月の法律改正で再来日の道を断たれ、現在LAカフェで働く元ジャパユキ本人にはなかなかたどり着けなかった。
女の子たちの話から僕の求めるターゲットが間違いなくいることはすぐわかった。しかし彼女たちがいつ通って来るかわからない。おびただしい数の援交ギャルの中から目指すターゲットにたどり着くのは容易ではなさそうだ。僕は、取材1日目にして自分ひとりで探す方針を変更し、カフェに出入りするポンビキも頼りにすることにした。自分自身で毎日通い詰める一方、取材に協力的なポンビキのジョシーに謝礼500ペソという条件で元ジャパユキのホステスを紹介してくれるように頼み、彼女にも望みを託した。
取材中4月の上旬、ちょうどキリスト教の復活祭にさしかかると、女の子たちは大挙して一時田舎に帰ってしまい、若い女性の香りでむせ返るほどだったLA店内は女の子もまばらになり、閑散としている。そんな中、ジョシーから「ダバオ出身の去年帰国したばかりの元ジャパユキが店に出てるよ」と言う電話連絡を受け、僕はあわててアパートを飛び出し、LAカフェに向かった。
探し始めてから2週間、日本から帰国ホヤホヤの元ジャパユキの女の子にたどり着けた。そして、そのジャパユキは、ファーストタイマー時代からのなつかしい知人。僕の気持ちを束の間、癒してくれた女性との思いもよらない、ちょっと切ない再会劇となったのだった。
「クーヤ ドシタノ?」
リセルの言葉で僕はまた現実の世界に引き戻された。