フィリピーナはどこへ行ったのか?
2007-02-26T02:13:31+09:00
webmag-c
フィリピーナはどこへ行ったのか?
Excite Blog
web連載読者の皆様に大事なご報告 4つの大ニュース!!
http://webmagc.exblog.jp/6519959/
2007-02-23T16:30:00+09:00
2007-02-26T02:13:31+09:00
2007-02-23T16:21:27+09:00
webmag-c
緊急報告!!
前回、少しだけ予告しましたが、今回は、管理人webmag-cより、連載読者の皆様にご報告です。
大ニュースその1!! 本が出ます!
昨年7月から続けてきた、この、白野さんの連載が単行本となりました。
本のタイトルは『フィリピーナはどこへ行った』(連載タイトルと少しだけ変えました)。
定価は1680円(本体価格1600円+税)です。
本のカバー等については、下記をご覧下さい(直接注文もできます)
http://www.4jc.co.jp/books/detail.asp?id=2070
全国の主な本屋さんでぜひお求めください。
東京都内の主要書店さんだと、早ければ2月24日(土)には店頭に並ぶところもあります。
3月初旬には、全国の書店さんに入ります。ただし、小さな本屋さんだと、1冊も入らない場合が多いので、お探しの場合は注文をしてお求めください。
本当は連載読者のみなさんに、もう少し早くご報告したかったのですが、
1月の下旬に本にすることが決まり、それ以来ずっと、著者・白野さんも、
編集担当=web連載管理人・webmag-cもろくに眠れないような生活をしてきたので、遅くなってしまいました。
その間(ちょうど、前回まで掲載したジョイさんの途中から)、更新も滞り、
ご心配もかけましたが、たくさんの励ましのお言葉をいただいて、とても心強く思いました。
管理人も、著者・白野氏も非常にはげまされました。
そもそも、この企画を本にすることができたのも、連載読者からの“熱い”コメントの数々が、とっても力強い後押しになってくれました。コメントをいつも寄せてくださった皆さん、どうもありがとうございます。
また、コメントはなかったものの、いつも見てくださっていた皆さんにも、お礼を申し上げます。日々のコンスタントなアクセス数は、会社の企画会議で大切な説得材料になってくれました。
皆様のお力で本になった、この連載をぜひ書店店頭でお確かめください。
大ニュースその2!! 本のポイントをご紹介!
その単行本の中身ですが、これまでの連載をまとめただけでなく、
・白野氏が、マニラで昔の彼女の家を探し当てるインサイドストーリー
・連載では登場しなかった癒し系の女性ルーアンの物語
以上2つの大きな書き下ろしを収録しています。
連載の最初のほうで登場した、白野さんをフィリピンに引き込むきっかけとなった女性、リリーをおぼえていますか?
彼女のマニラの住所に乗り込む白野さん、そこで出会ったのは……!! 気になりますね。ぜひ本をお読みください。
そして、連載には登場しなかった癒し系のルーアン。マカティの置屋で働いているのですが、いろいろな事情を抱え、しかし性格はとっても(ものすごく)良く、読み進むうちに「ぜひぜひ幸せになってほしい」と応援したくなる女性です。こちらも気になりますよね? ぜひ本を読んでください。
本が売れると、著者の白野さんに印税が入り、白野さんがうるおえば次の取材にももっと力が入り、そうすると読者の皆さんにも、より充実したフィリピンの情報をお届けできるはずです。ぜひぜひ買ってください。お願いいたします。
(実際のところ、最初に発行する分が全部売れても、白野さんがフィリピン取材のために自腹を切っている費用には満たないので……周りの方にもぜひススめてください!お願いします)
大ニュースその3!! パソコン版指さしも出ます!
白野さんと管理人が「ろくに眠れないような生活」をしていたのには、もう一つワケがあり、
実は、『パソコン版旅の指さし会話帳10フィリピン』を作っていたのです。
こちらも2月24日(土)〜3月初旬にかけて、大きな本屋さんに納品される予定です。
定番のロングセラーとなっている、『旅の指さし会話帳・フィリピン』に収録されている単語や、フレーズ、約7000コの音声をクリックしながら聞くことができます。
使えるパソコンはWindowsの2000とXP。定価は3990円(本体価格3800円+税)です。
こちらのページから注文できます
http://www.yubisashi.com/books/detail.asp?id=4009
もともと、言葉を厳選していることにかけては、絶大な評価をいただいている「指さし会話帳」をベーストしているので、このソフトを使って、毎日毎日クリックして勉強すれば、実践的な言葉がものすごい勢いで身につくはずです(買うだけではダメですよ! ガンガン勉強してください)。
数字や曜日、月日の言い方、あいさつや自己紹介、くどき文句にマニラやフィリピン全土の地名、家族や親戚の呼び方、趣味や芸能人……といった項目を、嫌になるほど何度でも聞くことができます。これで特訓すれば、次回フィリピンに行くときには1ランクも2ランクもアップしたタガログ(フィリピノ語)を披露できるはずです。
こちらもぜひ!! お買い求めください。
大ニュースその4!! 連載は新たな境地へ!
白野さんの連載の今後ですが、3月の再開に向けて準備中です。
更新をずっとできずにいたので、ご心配をおかけしましたが、まだまだこれからの意気込みで白野さんははりきっています。
これまで、盛り場で働く女性の紹介が多かったわけですが、今後は自分でビジネスを立ち上げた人、スーパーマーケットで働く人などなど、より多様な生き様をご紹介していく予定です。
ぜひ、今後ともご声援のほど、よろしくお願いいたします。
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夢と携帯電話の行方(ジョイ最終回)
http://webmagc.exblog.jp/6476562/
2007-02-13T23:35:42+09:00
2007-02-13T23:35:42+09:00
2007-02-13T23:35:42+09:00
webmag-c
ジョイ8 夢と携帯電話の行方
17歳の娼婦、ジョイの最終回をお届けします(管理人)
…………………………………………………………………………………
「私も今まで数え切れないほど嘘をついてきたけど、彼をだますようなことはしたくないわ。全部を洗いざらい話して彼に判断してもらうわ。クーヤどう思う」
「僕もそう思ってたんだ」
と答えながら、僕はジョイが心の底から汚れてはいないことがわかってとてもうれしかった。
そんな彼女にとって、おそらくたった一度になるであろうエンターテイナーとしての日本行きとは何だったのだろう?
「ひとつの過去ね。でも彼との出会いもあったし、もしかしたら新しい未来の始まりかもしれないわ。是非そうなってほしいわ」
日本で本当の愛を見つけた彼女にとってたった一度の日本行きの評価はまだ定まっていないようだ。
★夢
「本当はもう仕事に疲れちゃって、日本人の彼と結婚して自分の家族を持ちたいわ」
彼女の夢を聞いた時の回答は意外だった。大家族を助けるため、住居を購入し、ファミリービジネスを立ち上げることだと答えると思っていたからだ。しかし、本音としては2年もこういう仕事をやっていて、いい加減うんざりして自分自身の幸せを追いかけたくなる気持ちもよくわかる。
それでも、彼女は自分自身の夢は二の次で、どこまでも家族の幸せを優先する女性だった。
「でもね。実際には家族が第一よ。私の気持ちのままに生きるわけにはいかないわ。だから家の購入資金を貯めて、ファミリービジネスのサリサリを立ち上げるまでは今の仕事を続けるしかないわね。それから自分自身の幸せを追いかけるわ」
窓の外に目をやると、もうすっかり日が落ちている。時計を見るまでもなく午後6時を過ぎていることだけは間違いない。一年を通じてマニラの日没はほぼ午後6時だからだ。彼女を夢に近づけるために早く仕事場に行かせてあげなくてはならない。
「今日はどうもありがとう。インタビューはもう終わりだよ。君の夢が早くかなうといいね」
と言いながら、僕は彼女の拘束料1500ペソを彼女に差し出した。しかし彼女の反応は意外だった。
「クーヤ、受け取れないわ。本当ならおととい私がちゃんと話しをしてれば終わりのはずだったんだから。ビリヤードにも付き合ってもらってありがとう。それにクーヤは友だちだから」
と言って受け取りを固辞した。彼女は意外に義理堅く、律儀なんだなと僕は改めて彼女を見直した。
「じゃ、クーヤ、ありがとう。私、仕事に行くわね」
と言い残すと彼女はさっと立ち上がり、足早に安っぽいネオンが通りの左右に灯るエルミタの夜に吸い込まれた行った。ただ、今日は途中何度か立ち止まり、振り返って微笑みながら手を振ってきた。僕も笑顔で彼女に手を振って答えた。
それ以来、取材旅行の最中にも、すべてが終わって帰国する際にも、何度となく一言お別れの言葉を言いたいと思って、彼女の携帯を鳴らしてみたが、もうその番号は使われていないようだった。LAカフェにも何度か足を運んでみたが彼女の姿を見つけることはできなかった。
携帯電話泥棒の多いこの国のこと、多分携帯電話をなくしたか、盗まれたか、あるいは当面のお金に困って売ったか質入れしたか、そんなところだろう。あるいは病気にでもなってしまったのだろうか? その時、『携帯がなくなったら一巻の終わり』という彼女の言葉が頭を過ぎった。
日本人のカレシとの関係を続けることも微妙な状況だ。彼氏はジョイの住所をしっかり把握しているだろうか? 先ほどのジョイの口ぶりからすると、多分ジョイは彼氏にフィリピンでの住所を教えていないだろう。だとすると、彼からジョイへの連絡手段は携帯電話だけだ。一方、アドレス帳など使っていないジョイは彼の電話番号を覚えているだろうか? こちらも非常に心もとない。ジョイは自分から彼氏に電話したことはほとんどないと言っていた。となると、すべての情報の入った携帯電話の紛失や盗難が二人の終わりになる可能性が非常に高い。もしかして彼女が携帯を買い換えて、番号も変えてそのことを彼にも伝えていれば全然問題ないのだが……いや、彼女の電話は真新しかった。買い替えというのは非常に考えにくい。やはり紛失か盗難ではないか?
しかし、二人にとっては余計なお世話かもしれないが、よくよく思えば、フィリピンのことなど何も知らない20歳の大学生と大家族を養っていくことなど多くの問題を抱えた彼女の恋にハッピーエンドを期待するのはむずかしい気もした。そう考えると、いつかは訪れる二人の愛の終わりが少々早めにやってきただけだと言えなくもない。
ともかくジョイとカレシをつなぐ唯一の手段であるジョイの携帯電話がなくなったようだ。おそらくジョイはカレシの電話番号を覚えていないし、アドレス帳などにも控えていない。またしても電話が原因でひとつの国際恋愛が壊れてしまうかもしれないと思うと何とも切なかった。
そう言えば17年前、僕とリリーの関係が終わったのも電話で連絡が取れなかったのが直接の原因だった。僕が当時、タガログ語はおろか英語すらできなくて彼女の家に電話しても彼女にたどり着けず、初めてのフィリピーナとの愛があっけなく終わったのと、ジョイとカレシの愛の顛末に僕は何か重なり合うものを感じるのだった。
取材旅行も終わりに近づいたある日、僕は彼女の姿を求めて曇り空の中、LAカフェに足を運んだ。彼女の姿は見当たらなかったし、何の消息情報もつかめなかった。僕は、窓際の席で降り始めたスコールをガラス越しに見つめながら、彼女が愛する家族に家とスモールビジネスの機会を与えて1日も早くこの仕事から引退し、普通の女の子として幸せな人生を歩んでほしいとただ願うばかりだった。
(ジョイの回、終わり)
★★次回、連載読者の皆様に、大事なお知らせがあります★★
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日本での「楽な仕事」(ジョイ第7回)
http://webmagc.exblog.jp/6386863/
2007-01-25T16:31:00+09:00
2007-01-30T17:26:23+09:00
2007-01-25T16:31:14+09:00
webmag-c
ジョイ7 日本での「楽な仕事」
そんな彼女にとって日本での仕事はどんな意味を持っていたのだろう。彼女は入管法の実施規定が厳しくなった2005年3月15日のわずか2ヶ月前の2005年1月から同年7月まで、たった一度だけながら6ヶ月間勤め上げている。
「おととし2004年、私が出産を終えて、確かその年の6月だったわ。16歳の時、バクララン教会の礼拝からの帰りに、日本に女の子を送り込んでいるプロモーションのマネージャーから『日本で働いてみないかい?』ってスカウトされたの」
僕は、ジャパユキのスカウトを街頭でやっているという話は何度か聞いたことはあったが、実例にめぐり会ったのは初めてだった。
「以前パサイ市内のクラブで働いている時のお客さんにも日本人は多かったし、日本に行ってみたかったし、すぐに彼の事務所についていって話を聞いたわ。『売春しないで、お客さんの話し相手をするだけでそんないい給料がもらえるの?』って思ったわ。それでその日のうちに何が書いてあるのかよくわからない英文の書類にたくさんサインしてプロモーションに入ったの。私は英語もよくわからないのよ」
彼女もやはり17歳のカトリックの女の子、いやプロモーションにスカウトされた当時は16歳。いくらかなりの実戦経験があるとは言え、売春という仕事は彼女の心の大きな負担になっていたのだと僕はこの時改めて感じた。彼女は日本行きの経過についてさらに説明してくれた。
「それから先はトントン拍子よ。昼間はプロモーションでダンスの訓練を受け、夜は自分のペースでクラブOに働きに出るかたわら、私の日本行きの偽書類はどんどん整っていって翌年1月にはあっさり日本に行けることになったの」
フィリピンでバリバリのホステスだった彼女の目に日本でのエンターテイナーの仕事はどんな風に映ったのだろうか。
「日本での仕事は、はっきり言ってきれいで楽な仕事だったわ。本当にお酒やカラオケの相手をするだけなんだもん。酔ったお客さんにちょっと体を触られたり、抱きしめられたりするくらいのことは、私にはぜんぜん苦にならなかったわ。それにお客さんにホテルに誘われることがあっても、それを強制されることもなかったからイヤって言えばそれですんだし」
フィリピン社会のいわば底辺の一角で過酷な仕事に慣れていたジョイには強制売春のない普通のフィリピン人エンターテイナーの仕事などそれは楽なものに違いなかった。
「それに同伴とか、指名も、私のことを気に入ってくれるお客さんがいたから全然問題なかったわ」
そりゃ、彼女くらいのルックスとセクシーなボディの持ち主なら、すぐに何人かのお客がつくのは当然だ。そんな意味で彼女もまた自分のお客たちに、束の間の癒しの時間を与えてきたはずだ。彼女に日本人のカレシがいるのは先ほどの話からわかっている。来日中のロマンスなのか? それともマニラの職場で知り合ったのだろうか?
「日本人のカレシとは来日中に知り合ったの? それともマニラで?」
「来日中にお店で知り合ったのよ。実は昨日も彼から電話がかかってきたばかりなのよ」
質問に対する彼女のリアクションはすごく早かった。彼の話をしたくて仕方がないようだった。
「どんな人?」
「20歳の学生よ。ほとんど毎日お店に来てくれたわ」
20歳の学生で、毎日のようにフィリピンパブに通えるなんてお金持ちの息子かなと始めは思った。しかし事実は僕の予想とはだいぶ違っていた。
「日本に行ったばっかりの時に知り合ったんだけど、彼はアルバイトの先輩に連れられて初めてフィリピン人のお店に入ったらしいのよ。その時私が彼の隣に座ったの。ハンサムなんだけど、とってもシャイで、あんまりにも話をしないんで私のことが嫌いなのかなと思ったくらい。でも次の日、電話がかかってきていきなり『マハル・キタ(愛してる)』って言われてびっくりしたけどうれしかったわ。それからは毎日のようにお店に来てくれて言葉はなくても愛はどんどん深まっていく感じだったわ」
来日中の束の間のロマンスについて語るジョイはとても幸せそうだった。彼女はバッグからカードケースを取り出すとその中から彼の写真を取り出して見せてくれた。ハンサムというのはいささか首を傾げるものの、ガテン系でさわやかな笑顔のいかにも人のよさそうな若者だった。彼女は僕の彼氏に対する評価のコメントを待っている。
「やさしくて信頼できそうな人に見えるね」
と僕が言うと彼女は最高の笑顔を浮かべて
「そうなのよ。本当にやさしいの」
と言った。でも彼らはどれくらい心を通い合わせていたのだろうか?
「君は日本は初めてだったから、日本語はほとんどできなかったと思うんだけど、彼は英語かタガログ語はできたの?」
「いいえ、全然できないのよ。彼の知ってるタガログは後にも先にもマハル・キタだけ、あと英語はアイ・ラヴ・ユーとアイ・ドント・ノウだけ。それでお店に来ると必ずマハル・キタを歌ってくれるの」
彼女はこみ上げてくる笑いをこらえながら話した。『I Love youから始めよう』なんていうタイトルの歌があったが二人もまさにそんな感じなんだろうなと思った。言葉はなくてもフィーリングで分かり合える、それが『言葉はなくても愛が深まっていく』ということなのだろう。それで、彼はやはりお金持ちの子息だったのだろうか?
「日本のお店の料金はとっても高かっただろう? だから毎日お店に来られる彼は、お金持ちの息子じゃなかったの?」
「私もそうかと思ったんだけど、お店に来るために毎日必死でアルバイトしてたんだって」
なるほど、そうだったのか?!
「それじゃ今、彼からお金の仕送りとかは?」
「まったくもらってないわ」
どうやら彼女にとっての彼は、スポンサーとしての彼ではなく、本当のカレシのようだ。
「昨日も彼から電話がかかってきたって言ったけど、まだ関係はちゃんと続いてるんだよね」
「えー、そうよ。私たち愛し合ってると思うわ」
僕はそれが彼女だけの思い込みでないことを祈りつつ、二人の愛がどれだけ本物か、あたりをつけてみた。
「何で君は、彼が本気で君を愛してると思うの? だって言葉だけならマハル・キタ(愛してる)なんていくらでも言えるよね」
「言葉だけじゃないの。昨日の電話は彼が来月学校を休んでフィリピンに来るって言う電話だったの。彼、初めての海外旅行だからってすごく興奮してたわ。私もすごくうれしかったけど」
彼女の帰国後もほぼ10ヶ月間連絡を取り合って、わざわざ初めての海外旅行で彼女を追ってフィリピンに来るとなると彼の本気度も高いかもしれないが、この事実だけで二人の未来を楽観視することはできない。
「彼だったら結婚してもいいなあ」
彼女は遠く日本の彼氏を瞳の奥で見つめるように話した。この時、僕は彼女が結婚願望を持っていることに気がついた。女であることを売る仕事の中で、そんな気持ちはとっくにどこかになくなってしまっていると勝手に決め付けてしまっていたのだ。僕は彼女が普通の女性として当たり前の幸せを目指す気持ちを失っていないことがうれしかった。と突然、立場が一転、彼女から相談を受けた。
「クーヤ、私はまだ彼には私の本当の姿、過去について何も話してないのよ。彼には今、私はジャパニーズ・カラオケで働いているってうそをついてるし、子供がいることも言ってないし、家族に会わせて私たちのひどい貧乏暮らしを見たらすぐに彼の熱も冷めちゃうんじゃないかと思うと怖いわ。クーヤ、どうしたらいいか教えて」
ジョイも彼氏も一番すっきりする解決は、ジョイが本当のことを洗いざらいぶちまけて彼氏がそれを受け入れてくれることだ。または、子供のことも仕事のことも、一生隠し通すという選択肢も頭をよぎった。でも、彼女の兄弟として彼に紹介することになる実の子供も気の毒だし、現実問題として彼女は、家族を養い、新居購入資金調達のためにLAで働き続けなければならない。真実を隠し通すことなんてほとんど不可能だし、できたとしても本人の精神的負担の大きさは計り知れない。『自分ならすべてをぶちまけて彼氏の判断を仰ぐだろうなあ。それで彼が受け入れてくれなければしかたない』という、ごく当たり前の結論に達した。そうこう僕が思い悩んでいる間に、彼女は自ら結論を出した。
(管理人webmag-cより)
いつも読んでくださっている皆さん、更新が遅れてしまってごめんなさい。
ジョイの章は次が最終回です。]]>
稼いでも厳しい暮らし(ジョイ第6回)
http://webmagc.exblog.jp/6357264/
2007-01-19T01:11:00+09:00
2007-01-30T15:19:04+09:00
2007-01-19T01:11:39+09:00
webmag-c
ジョイ6 稼いでも厳しい暮らし
「話がそれちゃったけど、さっきは君の今の暮らしぶりについて聞いたんだ。もう一度同じことを聞いてもいい?」
「あっ、私は見当違いのこと話しちゃったのね。今は、ともかく必死よ。風邪をひいたり、熱があって本当に我慢できない日以外は毎日LAに通って、一生懸命働いてるわ。お客さんにありつけるのは2日に1人くらいかなあ。話し相手だけのお客から、オールナイトのお客さんまで時間帯もいろいろなら、お客さんの国籍もいろいろよ。私はフィーリングさえ合えばどこの国の人でもOKよ」
ホステスの中にはお客を国籍で選ぶ娘が多い中で、彼女はお客を国籍で選ばないと言い切った。客として男たちのお国柄について聞いてみた。
「私はお客さんを国籍で選ばないけど、アブノーマルな人だけはごめんだわ。このお店には本当にいろんな国から男の人たちが来るけど、日本人が一番親しみやすい気がするわ。フレンドリーでアブノーマルな人は少ないし、気前がいいし。国籍で選ばないとは言ったけど、態度が大きかったり、あそこが大きすぎたり、アクロバチックなスタイルを要求されたり…本当に国ごとにそれぞれね。他にも、ケチだったり、バイブレイターやいろんな道具を使ったり、しつこかったり、体臭が耐えられなかったり…私がケチと言うのはさんざん値切った挙句に、終わったあとにさらに値切ってくるっていう意味よ。でもお客がいない時は、そんなことは言ってられないから、どんな国の人でも相手をするけど」
彼女の話を聞いている時、かつてHなビデオなどで見たことのあるシーンの数々が次々とリアルに僕の頭の中をよぎっては消えた。
「なるほど、それで1ヶ月でいくらくらいの稼ぎになるの?」
「私の場合は一日3000ペソのお客さんがほとんどね。6時間で最後までのサービスが希望のお客さんよ。一ヶ月でいくらになるなんて私はバカだから計算できないわ」
フィリピン人はそこそこ学歴のある人でも非常に計算が苦手だ。まして彼女は高校中退。僕は頭の中で簡単な計算をした。3000ペソ×15日=45000ペソ。改めて計算してみて彼女の稼ぎ振りに驚いた。
「一ヶ月で45000ペソも稼いでる計算になるよ。君は実は大金持ちじゃないか!」
半分ひやかしで僕が伝えると、彼女は自分自身の稼ぎに改めて驚いたようだった。
「えっ、本当? 私はそんなに稼いでるの? 自分の食費とメイクアップ代とか除いてお金は全部お母さんに渡しちゃうから、自分自身はいつだってせいぜい1500ペソくらいしか持ってないの。だからそんなに稼いでるなんてぜんぜん実感がないのよ」
僕はジョイの日常生活をもう少し掘り下げてみた。
「君は自分の生活費として1日いくらくらい使うの?」
ジョイは少し考えてから話した。
「自分のための手当ては1日200ペソって決めてるの。実際の支出は、ご飯が一日に大体一回で20ペソから40ペソくらい。あとは化粧品とか歯磨き粉・シャンプーとか身の回りのものばかり。洋服も以前買った物を着てるから今はほとんど買ってないわね。ただ化粧品代は意外とかかるのよねえ。これはケチると商売にかかわるから食費よりも大事だと思ってあまり節約しないようにしてるの」
さすがプロ。ジョイの言葉一つ一つにある意味僕は感心していた。彼女は1日一食しかしないにもかかわらず、売り上げに直結する化粧品代はケチらない。
彼女は家族にどれくらいの経済的支援をしているのだろうか?
「ジョイ、今住んでる家の家賃はいくら?」
「電気代、水道料金込みで月の家賃3000ペソのアパートに仲間と3人でいっしょに住んでるわ。私の負担分は1000ペソよ」
自分用の手当てと家賃、そして毎週家族を訪ねる交通費、すべて合わせても8000ペソ。彼女は毎月37000ペソもの大金を家に入れていることになる。これだけのお金を入れてもらえば、普通なら彼女の家族はそこそこの暮らしができるはすだ。僕は、ジョイだけに苦労させて他の家族は遊びほうけているのではないかとも思った。しかし、実態はまったく違うようだった。
ジョイは、1988年5月、果物販売業を営む両親の元に13人兄弟の4番目の子供としてマニラの南西部に隣接するカビテ州に生まれた。両親は勤勉で夫婦仲もよかった。ジョイは両親が争っているのを一度も見たことがない。しかし、子だくさんのため、生活は困窮を極め、子供の頃から1日一食しかできない日がほとんどで、ジョイの幼い頃の記憶で真っ先に浮かんでくるのは、いつもおなかをすかせた幼い兄弟たちが少ない食べ物を取り合ってけんかしている光景だ。食事もままならない家庭で子供の教育にまで手が回るはずがない。長男は何とか高校を卒業し、成績がよかったため、奨学金を得て4年生の大学を卒業して有名コンピューター専門学校の事務職員として就職、結婚して自分の家族を持って自立することもできたが、他の兄弟は高校卒業すらままならない。これは、学歴社会フィリピンで、ジョイ家族が大きなハンディキャップを負っていることを意味する。高校卒業や中退の学歴では、自分の家族を、いや自分自身を養っていけるだけの所得を得られる職業につくチャンスすらほとんどなくなってしまうのだ。
そんなわけで、ジョイの家族、すなわち両親と独立した長男を除く11人の兄弟、そしてジョイの子供という14人を支えられるのはジョイ一人なのである。それでもジョイが決して隣近所には言えない仕事で大家族を強力に支え始める前から、彼女の両親は地元の市場で果物を売って1日300ペソほど稼いで、何とか一家が飢え死にしない程度に家族を養ってきた。そしてジョイが大きく稼ぎ始めて家族は豊かになるはずだった。
そこに今年に入って突然降って沸いたのが、ショッピング・モール建設計画とそれに伴う建設予定地の不法占拠者の立ち退き問題である。
現在ジョイの家族は、フィリピン政府の土地に勝手にトタン屋根の家を建てて暮らしている。彼らはいわゆるスクワッターと呼ばれる土地の不法占拠居住者なのだ。当然、家賃・地代などは払っていない。しかし、ショッピング・モール計画が実現段階に入ろうとしている今、一家は最終的には有無を言わせず立ち退きを迫られることになる。となればまったなしで新しい住居を探して引越ししなければならない。新たに家を賃借りするか、購入しなければならないのだ。これは貧しい大家族にとっては大きな経済問題なのである。
ジョイたちは現住所の近くに家と土地を購入し、住宅の隣接地にやや大きめのサリサリ(雑貨店)を作るために頑張っている。その目標達成のために家と土地で50万ペソ、サリサリ店作りの費用20万ペソの計70万ペソを1日でも早くためるのが家族上げての目標なのだ。そのほとんどすべてが17歳の娼婦ジョイの肩にのしかかっているのである。
「私もこんな仕事やりたくてやってるわけじゃないのよ。目標の金額だけ貯金できたら、すぐにこの仕事をやめたいわ」
職業売春婦としてキャリアを重ねて、彼女はお金や性に対する感覚が麻痺しているかと思っていたが、決してそんなことはなかった。家族の明るい未来のために具体的な目標を持って計画的に頑張っているのだ。
ただ、キャッシュでなくローンなら今すぐにでも引っ越して新居に住めると思うのだが、なぜキャッシュにこだわるのかが不思議だった。
「すぐ新しい家に引っ越すなら、キャッシュで払わなくてもローンで支払うという手もあるよ。それならすぐ夢の新居に引っ越せるんじゃない?」
「お父さんが銀行に相談してみたんだけど、『スクワッターに住む果物の露天商じゃローンは利用できない』って言われたんだって。それでも一応っていうことでローンの場合の支払いを試算してもらったら、25年プランで毎月8300ペソの支払いになるんだって、これって50万ペソの家を買うのに250万ペソも払う計算でしょ。実際の値段の5倍も支払うなんてすごくもったいないと思わない? それでお父さんが毎月15000ペソの支払いならどうなるかって聞いたら10年かかるって言われたんだって。これだって全部で180万ペソでしょ。それで絶対現金じゃなくちゃ損だっていうことになって、今は定期預金してお金を増やしながら2年計画でマイホーム、マイ・ファミリー・ビジネスに向かってみんなで頑張ってるの。私は自分の最低限の生活費以外はみんなお母さんに渡してるからお金の細かいやりくりはぜんぜんわからないの」
なるほど、貧乏人ではローンも組めないというわけか。またローンが組めたとしても大手銀行の住宅ローン金利は12~18%。こうした異常に高い利息のため、支払いが長期にわたると元本の数倍に当たる金額の返済を続けなくてはならないことになる。25年ローンだと元本の5倍、これは何とありがたい(?)住宅ローン金利だ。僕は改めて日比の金融事情の違いにも驚かされた。それにしてもジョイは自分のことをバカだと謙遜していたが決してそんなことはない。数字にもなかなか強い。
「君は自分がバカだなんて言ってたけど、決してそんなことないと思うよ。数学は得意そうじゃない」
と僕は少し冷やかし気味に言った。
「そんなことないのよ。お父さん・お母さん・コンピューター学校に勤めているお兄さんが銀行や不動産屋さんに相談したり、いろいろ計算した結果を私が覚えているだけよ」
彼女はテレながら答えた。
僕はこの時、一家の期待を一身に背負って押しつぶされそうな重圧と厳しい現実の中で、文字通り家族のために体を張って生きるジョイがたまらなくいじらしく、また一段と美しく見えた。]]>
15歳でシングルマザーに(ジョイ第5回)
http://webmagc.exblog.jp/6343271/
2007-01-16T02:30:00+09:00
2007-01-18T16:06:26+09:00
2007-01-16T02:30:16+09:00
webmag-c
ジョイ5 15歳で母になる
「現実を受け入れるしかないという気持ちだわ。大家族の生活費を稼ぐために必死で働いて、稼いだお金はほとんど全部お母さんに渡して、自分は飢え死にしない程度に食べて。そんな感じ」
今の暮らしぶりについて聞いた時のジョイの言葉だ。17歳の女の子にしてはシビア過ぎる。一家を一身に背負っている切迫感がびんびんと伝わってくる。淡々とした語りを聞きながら、彼女の背後に大勢の家族の影が見えるように気がした。僕が彼女の言葉の重みをかみ締めている間もジョイは語り続けた。
「日本から帰国する前に、もう二度と日本に戻って来れることはないって仲間と話をしてたんで、『フィリピンに帰ってから仕事をどうしようか?』っていうことばかり考えてたわ。高校中退の私に大家族を養っていくためには他の選択肢なんてないわ。それでフィリピンに帰国する前からダンサーに戻ろうと思ってたの。でもLAならお客さんはいつも多いし、踊らなくてもすむし、仕事が楽だって聞いてたんで、すぐLAでフリーのホステスになろうと思ってたの」
彼女は『ダンサーに戻る』と言った。と言うことは来日前からクラブなどで踊っては客を取っていたということだ。
「『ダンサーに戻ろうと思った』って言ったけど、日本に行く前からクラブとかでダンサーしてお客も取ってたの?」
「ええそうよ。14歳で高校を中退してまともな仕事を探してもすべて門前払い。できる仕事と言ったらサリサリストア(雑貨店)の店員とか、近所の食堂のウェイトレスくらい」
そう、学歴偏重社会のフィリピンでは、高校卒業でも安定した高収入の仕事につくのは難しい。まして高校中退となるとなおさらだ。ちなみにフィリピンの学校制度は、小学校が6年、その次が高校で4年、その後が大学で通常4年である。日本式に言えば6-4-4制である。義務教育は小学校の6年間だけだ。経済的理由などで学業を中断せずにストレートで進学できた場合、小学校1年で満年齢7歳になるのは日本と同じだが、中学校がないため、日本で言えば中学入学の年、すなわち満13歳になる年に高校生になり、高校卒業の年に16歳、大学入学の年に16歳になり、大学卒業年次に20歳になるということになる。ジョイの場合は14歳、高校2年の時に中退したというわけだ。
サリサリストアの店員や一般食堂のウェイトレスでは自分ひとり生きていくのがやっとのはずだ。
「1ヶ月1000ペソや1500ペソの給料じゃ、いくら三食食事つきでも、家族を養っていくどころか、自分ひとりだって満足に生きていけないわ。家から少し離れたレストランに住み込みで働いてた時は、朝の5時から夜の10時まで働きづめに働いて休みは月に二日だけよ。仕事が終わったら洗濯やら後片付けやらで自分の時間もまるでなし。家族とも疎遠になっちゃったわ」
「給料が安い割りにずいぶんとこき使われてたんだね」
僕はジョイへの同情を禁じ得なかった。
「そうでしょ。半年間働いたけどバカバカしくなっちゃって、ダンサーになろうって思いついたの。外国人相手なら1日に何千ペソって稼げるって聞いてたし。それで家族を養っていくためにクラブMでダンサーとして働き始めたの。全裸で踊って1日で800ペソよ。それにお客からドリンクをもらえればバックが100ペソ。お客さんに連れ出されなくても1日1000ペソ~1500ペソは確実に稼げたわ」
食堂での給料1か月分が、ちょっとした決心次第で1日で稼げてしまう。でも地味な食堂のウェイトレスが、いきなり全裸で踊り、お客に連れ出されることに抵抗はなかったのだろうか?
「もちろん、始めはものすごく抵抗があったわ。薄暗いステージに上って何十人ていうスケベな酔っ払いたちの視線を一身に感じるだけで緊張したし、虫唾が走るような気がしたわ。でも私には家族を助けるための他の選択肢はなかったの。それからだんだん大勢に男たちの前で踊ることも裸になることにも何も感じなくなっていった。そして時々お客さんに連れ出されたわ。最初に私を連れ出したのが40代の韓国人。とてもやさしくてすぐ彼のことを好きになったの。彼が私の初めての男性よ。知り合ってすぐ彼のコンドミニアム(豪華マンション)で同棲し始めて、一ヵ月間そこに住んでたの。一時は将来結婚することも考えたわ。彼は毎日お店で稼ぐのと同じくらいのおこづかいをくれだけど、私を独占しようとしたり、無理に仕事をやめさせようとはしなかった。それでも私は彼が好きだったから、お店に出ても他のお客の連れ出し希望は全部断って自分なりに愛情表現したり、いろいろ努力もしたんだけど、彼にとってはただの遊びだったのね。すぐに飽きられてあっという間に捨てられちゃった。Mで働いてると彼とよく顔を合わせて気まずい思いをしたから、気分を変えようと思ってOっていう他のクラブに移ったの。Oでは4ヶ月踊ってたわ。Oでは全裸じゃなくてパンティとブラジャーはつけたままよ。踊るだけだと500ペソだけど、お客さんに連れ出される回数は増えたから結果的に稼ぎは増えたわ」
彼女は自分の来日前の過去について淡々と話してくれた。
「Oに勤め始めてからすぐに妊娠してることに気がついたの。もちろん同棲してた韓国人の子供よ。出産費用くらいは彼に面倒見てもらおうと思って連絡してみたけど、携帯電話はもう使われていないし、彼の住んでたコンドミニアムに行ってみたらもう他の外国人が住んでた。それでお腹が大きくなって、お店のマネージャーから『出産するまで仕事を休め』って言われるまで仕事を続けたわ。そして翌年、2004年の5月に出産したの」
クラブのダンサーと外国人客、束の間の恋の結末は聞くまでもなく明らかに思えたが、ジョイは元カレに対していささか未練があるように話した。
「それで15歳でシングルマザーよ。彼のことが好きだったから後悔はしてないけど、妊娠・出産で生活がますます苦しくなったわ」
出産のとき彼女は何を思ったのだろう?
「お父さん・お母さんを助けようと思って仕事を始めたのにかえって迷惑かけちゃって自分が情けなかったわ」
家族のための自己犠牲を当たり前のことだと考える彼女の言葉を聞きながら、そのけなげさに胸打たれるとともに、家計の担い手としての強い自負心を持って年齢には不相応な壮絶な人生経験を重ねてきたからこそちょっとやそっとでは揺るがない心の強さを身につけたのだと僕は思った。
いずれにせよ彼女の場合は売春婦が一時たまたまジャパユキとなり、また元のフィールドに戻ったのだった。
14歳にして全裸で踊るダンサー、そして売春婦としてのデビュー、15歳でシングルマザーに……淡々と語るジョイの過去は、僕にとってはかなり衝撃的なものだった。
今の暮らしぶりを聞いたつもりが彼女の話が脱線したおかげで、彼女がLAカフェのフリーのホステスになるまでの道のりはよくわかった。しかし、そんな彼女を両親はどう見ているのだろう? 当然仕事の中身のことは両親が知っているはすがないと僕は思っていた。
「君の仕事については、ご両親は知らないよね?」
僕の問いに対して彼女は一瞬苦笑いを浮かべてから答えた。
「初めてクラブMでダンサーの仕事を始めた時は、『ジャパニーズ・カラオケで働いていて、ものすごいお金持ちのお客さんに気に入られていつもたくさんチップをくれるの』って嘘をついていたんだけど、韓国人のボーイフレンドとの間に子供ができて、おかしいじゃないかって言うことになって、厳しく問い詰められて本当のことを洗いざらい話しちゃったの。私が売春してるって初めて知った時、お母さんはヒステリックに泣きわめいて、お父さんからはひっぱたかれるし、それは大騒ぎだったわ。でも二人とも少し落ち着いたら、『家族のために、お前にこんなことまでさせてごめんね』って言ってお母さんもお父さんも理解してくれたわ。それで今は両親公認で仕事してるわ。兄弟たちは知らないけどね。ただ、お父さんとお母さんには『病気だけは気をつけて』って言われてるわ」
娘の仕事をわかっていて送り出すジョイの両親のやるせなさ・つらさを考えると胸が詰まる思いだった。
ジョイのようなホステスがマニラだけでも数万人、フィリピン全土で数十万人はいるだろう。そのほとんどが、家計の担い手としての強い自負心と責任感から、心ならずも売春という仕事に従事しながら、仕事の中身については家族に苦しい嘘をつき、後ろめたさを胸に秘めながら働いている。しかしジョイの場合、少なくとも両親に対してだけは後ろめたさを感じることなく仕事に専念できていることに、僕は少しだけ気持ちが救われたような気がした。
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17歳のホステス(ジョイ第4回)
http://webmagc.exblog.jp/6330514/
2007-01-13T14:08:44+09:00
2007-01-13T14:08:44+09:00
2007-01-13T14:08:44+09:00
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未分類
翌日の午後2時過ぎ、僕の携帯にテキストが入った。
「昨日はありがとう。それからごめんね。明日午後2時頃に会いましょうね。またテキストするわ」
僕は少し安心した。昨日の種まき・投資が無駄にならずにすみそうだ。僕はその日はアパートでできるデスクワークに専念し、静かに翌日を待った。
そしてインタビュー予定日当日、午後2時が過ぎ、3時が過ぎてもジョイからの連絡はない。午後4時が過ぎ、『もう連絡は来ないかな』と思った矢先、僕の携帯のテキスト着信音が鳴った。ジョイからだった。
「遅くなってごめんね。ゲストと別れたから、いつでもOKよ。すぐ来られるならLAの近くのセブン・イレブンで待ってるわ」
というジョイからのメッセージだった。いつ連絡を受けてもすぐに出かけられるように準備していた僕は、すぐにアパートを飛び出し、あわててタクシーに乗り、指定されたセブン・イレブンに向かう途中で
「10分で行くから待ってて」
と彼女にテキストを送った。ぴったり10分ほどでセブン・イレブンに着くと、彼女はホットドッグをパクついていた。フィリピンのセブン・イレブンでは、ホットドッグはどの店舗でも欠かせない人気メニューだ。
仕事明けのはずの彼女だが、僕と目が会うと疲れた様子のかけらも見せずに、ニコッと微笑んで手を振った。何か吹っ切れた様子でおとといまで背負っていた問題がすべて解決したのではないかと思うほどだった。
僕は彼女の隣の椅子に腰掛け、食べ終わるのを待った。
「今日は疲れてない? すぐに話を聞かせてもらっていい?」
彼女が食べ終わったころあいを見計らって声をかけると
「もちろんよ」
と彼女はまた笑顔で答えた。僕らはおとといジョイに連れられて行ったビリヤードのあるビルのほぼ真向かいのスターバックスに向かった。落ち着いて話のできる場所として目をつけていた場所なのだ。
二人ともカプチーノをオーダーしてインタビューは始まった。
「この前は本当にごめんね。家の立ち退き問題とか、しつこいお客のこととか、お客の取り合いとかで、本当にむしゃくしゃしてたのよ」
開口一番彼女は、おとといインタビューのために連れ出されたのに、応じられなかったことを詫びた。何の元手も無しに、若い女性が楽して大金を稼ぐ手段が売春だとわれわれも思いがちなのだ。しかし、先日のしつこい客とのやり取りのように彼女たちにもかなりの苦労があること、そしてまた仕事のストレスから来るダメージは、多少慣れてもそこから立ち直るにはちょっとした気晴らしが必要なこともよくわかった。
「いや、気にしないで、えーと」
と言いかけた時、また彼女がびっくりすることを言った。
「私ね、最初からクーヤに嘘ついてたの。おととい20歳って言ったでしょ。でも本当はまだ17歳なのよ」
僕は少しビビった。スターバックスの中だからこそ問題ないだろうが、彼女とホテル街など歩いていて警察の職務質問など受けたら児童買春で刑務所送りということもありえる。僕は一瞬身震いした。でも話を聞くだけだと言うのになぜ彼女は年齢を詐称しなければならなかったのだろうか?
「イヤー、少しびっくりしたなあ。本当のことを言ってくれてありがとう。でもなんで嘘つかなくちゃいけなかったの? 僕は怒ってるんじゃなくて、君が嘘をついた訳が知りたいんだ。それじゃ、おととい見せてくれたID(身分証明書)はキアポかどこかで作ったニセモノなんだね?」
「そう、IDはクーヤが言った通り、キアポのレクト通りのIDショップで作ったの。年をごまかしたのは、初めてクーヤと会った時、やさしそうな人だから常連客にしたいと思ったの。インタビューとか何とか言ってたけどぜんぜん信じてなかったのよ。だから、私が17歳ってわかったら、クーヤが女としての私に興味なくしちゃうんじゃないかと思って嘘ついたの」
「あー、そうだったのか!! それで僕が君の体が目当てじゃないってわかったから本当の年を教えてくれたんだね?」
「えー、そうよ」
ジョイは素直にうなずいた。彼女の話に出たキアポとは、マニラ市北部の下町で『マニラの心臓』とも言われる活気あふれる商業地域である。同地区のレクト通りは、偽造ID(身分証明書)屋でも有名であり、いくつもの店が軒を連れねている。ここのID屋なら、有名大学の学生証から、卒業証書、有名企業のID、手作りヴィザまで、IDや各種証明書など、ほとんど何でもそろってしまうのだ。
僕は、自分が携帯電話をなくして買い直したばかりということもあって、彼女の顧客情報管理の方法が気になった。おととい彼女との別れ際、ゲストと呼んでいたように彼女には常連客もついているようだし、それ以外の知人や友人の電話番号や週所、スケジュール管理などどうしているのか興味があったのだ。と言うのも、IDを見せてくれた時、彼女のバッグの中には、他に化粧品とコンドームしか見当たらず、手帳とおぼしきものは何もなかったからである。彼女はもしかして全部記憶しているのだろうか?
「君はお客さんとか友だちの電話番号とか住所とかは、アドレス帳か何かに整理してるの? それとも大事な電話番号とか住所は覚えてたりとか?」
「私は何かノートに書き付けたりとか、整理したりとかすごく苦手なの。だから電話の中に大事な電話番号だけ登録してるわ。手紙やカードは書かないから住所はまったく控えてないの。頭悪いから、電話番号もぜんぜん覚えられないわ」
彼女は照れくさそうに笑いながら答えた。
「でも、それじゃ携帯電話をなくしちゃったらボーイフレンドとの連絡が取れなくなっちゃうんじゃない?」
僕はちょっとカマをかけてみた。彼女はすんなり僕の小さなワナにすんなり引っかかってきてくれた。
「いつも携帯電話を絶対になくさないようにすごく気をつけてるから大丈夫。私、携帯電話をなくしたことも、盗まれたことも一度もないのよ。でもクーヤの言う通りかもしれないわね。もしなくしたり盗まれたりしたら、日本人のカレシと連絡取れなくなっちゃうから大変だわ。一巻の終わりね。でもやっぱりノートに書いたりするのはめんどくさいなあ」
彼女に日本人のカレシがいることがわかった。どんな人物なんだろう? 後で聞いてみようと好奇心が頭をもたげてきた。
それにしてもこのジョイという17歳のホステス。相手の状況や心を読んで対応してくるあたり、なかなか場数を踏んでいて、かなりしたたかなプロの娼婦である。しかし、それでいて少女の素直さを持ったなんとも不思議な女の子でもある。いずれにせよ、この素直でしたたかな夜の天使に対する僕の興味はますます膨らんでいた。
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再会は無理?(ジョイ第3回)
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2007-01-11T00:33:13+09:00
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2007-01-11T00:33:13+09:00
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ジョイ3 再会は無理?
「7歳の時お父さんに誘われて始めてからかな」
ジョイは平然と答えた。
20歳にして13年のキャリア。日本なら7歳でビリヤードのキューを手にする女の子などまずお目にかかることはないだろう。しかし、ビリヤードの世界チャンピオンを次々と輩出するこの国では、そんな子供はちっとも珍しくない。それだけビリヤードはこの国に広く浸透したスポーツなのだ。僕は日比の文化の違いを感じてただ苦笑いするしかなかった。そう言えば彼女がタバコを吸い始めたのも7歳だったっけ。ただ、こちらはスラムの児童喫煙を助長する深刻な問題であり、笑って済ますわけにはいかない。それはさておき本題のインタビューの約束だけでも取り付けておかなければ。
「本当は今日、君の話を聞きたかったんだけど、今度会う時は協力してくれるって約束してくれたよね。いつならいい?」
「明日は、日本からゲストが来るんで、あさってならどう? あなた携帯あるならテキストするわ」
「あさっての何時?」
「ゲスト次第だからなんとも言えないけど、必ずテキストするわ」
と言うやいなや、彼女は自分の右手の薬指を僕の右手の薬指に絡めて指きりをしてきた。
僕が彼女に携帯電話番号を教えると、彼女は無造作に自分の携帯電話にインプットした。
「じゃ、もっと稼がないといけないからLAに戻るわ」
「さよなら。連絡待ってるよ」
という僕の言葉に彼女は振り返りもせず、背中で聞きながら後手に手を振って小走りにLAに帰って行った。こんな風に『また今度ね』と言って女性たちと別れた時、再会できたためしがない。今回の取材の経験から、僕は十中八九もう二度と彼女から連絡をもらうことはないだろうとあきらめていた。それでも心のどこかで再会の日が来るのを期待せずにはいられなかった。このままインタビューができなかったら、連れ出し料としての1500ペソの彼女への支払い、日本レストランでの支払い700ペソ、600ペソのビリヤード場での支払い、賭けの負け分450ペソなど3000ペソ以上の出費もさることながら、それ以上に限られたフィリピン滞在時間の中で費やした時間のすべてが無駄になってしまうからだ。それだけに何とかインタビューに漕ぎつけたい。彼女の電話番号も聞いたが、彼女がインタビューに応じる気がなければしつこく追い回せば追い回すほど、彼女は遠ざかって行くだろう。彼女がその気になってくれるように僕は祈るばかりだった。
ただ、もしかしたら彼女を再度きちんとインタビューできるかもしれない展開になって、携帯電話をすぐに買い直しておいてよかったと思った。あとは指きりの約束を信じて連絡を待つだけだ。
★アクシデント~携帯電話が盗まれた
実は、旧友リセルのインタビューが終わった直後、僕は憩いの場となっていたもうひとつの援助交際カフェAに直行していた。リセルとの思わぬ再会が非常に切なく、気晴らしが必要だったのだ。夜7時過ぎに店に入った僕は、サンドイッチをほうばり、サンミゲールライトを何本か空けながら、この店のウェイトレスで夜11時に出勤予定のビリヤード友だちのメアリーを待った。メアリーは11時10分前にTシャツにジーンズといったいつもの姿で店に現れ、僕に気がつくとニコッと笑って2階のスタッフルームに消えた。彼女はすぐに白いセーラー服のユニフォームに着替えて戻ってきた。
「やる?」
メアリーはキューを持って突くふりをしながら言った。
「シイェームプレ イッツ マイ プレジャー(もちろん、喜んで)」
と僕は答えた。それから7時間、翌朝の6時くらいまで僕とメアリーは、お客のいない2階のビリヤード台でワーワーギャーギャーいいながら、お遊びビリヤードを楽しんだ。
本来なら彼女の勤務時間の7時まで付き合うところだが、朝の6時頃急な眠気に襲われ、その日は家に帰らせてもらうことにした。
帰りは、ジープで二乗り、勝手知ったる通勤(?)コースだ。それでも油断は禁物、ジープの中にもスリや強盗が頻繁に出没するからだ。
僕は最初に通りかかった自宅方面行きのジープに乗った。乗客は誰もいない。『他に客がいないから万一眠っても大丈夫だな。これはいいや』と思って前方の運転手の隣に座った。しかし、ジープが少し走ったところで学生風のこざっぱりした身なりの若者が乗ってきた。そして彼は、誰も座っていない後部座席ではなく、わざわざ僕が座っている前部座席に『エクスキュース』と言いながら乗り込んできた。
うさんくさい。普段なら、僕はそこで降りて自分が後部座席に移るなどの対策を取るのだが、その日は眠気に絶えられず、隣に座った不審な若者のことなどお構いなく、束の間の甘い眠りに落ちてしまった。ジープの終点で運転手に起こされた僕は、何気なくジッパーつきの右ポケットをまさぐったら、ジッパーが開いているではないか! 眠気が一気に吹き飛んだ。ポケットに手を突っ込んでみたら、そこに入れていたはずの携帯電話がない。
「やられた!」
思わずつぶやいたがあとの祭りだった。フィリピンを行き来するようになって16年、初めて携帯電話を盗まれてしまった時のことだ。
フィリピンは所得水準に比べてものすごく携帯電話本体の料金が高い。新品だと最低でも2700ペソくらい。これはマニラ首都圏の法定最低賃金275ペソ(2006年6月3日現在)のほぼ10日分だ。しかし実際には法定最低賃金以下の給料で働いている労働者もたくさんいる。さらに注目すべきは利用者のほとんどがプリペイドタイプを使っていることだ。防犯登録などないから携帯電話の譲渡も自由自在。だからこそ、全土で中古携帯電話のマーケットは大きく、携帯電話専門の窃盗団もいるほどだ。当然被害者も多い。実際、私のフィリピン在住の知人・友人でも、日本人・フィリピン人全部含めて携帯電話盗難の被害にあったことのないのは自分だけであり、僕はそれをひそかな自慢にしていたのだった。
悔しかった。しかし、それ以上にすでにインタビューし終わった相手の電話番号などのデータを失ったことの方が痛かった。先方から連絡を受けない限り、こちらからは二度と連絡が取れなくなってしまったからだ。しかし、事件から数日後、公証役場事務所と警察に出向いて事故報告書を書いてもらったおかげで1年前に買った携帯電話の購入額の85%を取り戻すこともでき、自分自身にとっては安全・危機管理の基礎の再確認、また情報保存のあり方への警鐘という意味ではいい教訓になった。
それ以降、『携帯電話は常に盗まれる可能性のあるもの』という前提で、教えてもらった電話番号は、すぐにアドレスノートに転記し、同時にコンピューターにも入力保存するようになった。
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「迷惑」なメール(ジョイ第2回)
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2007-01-09T13:11:57+09:00
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2007-01-09T13:11:57+09:00
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ジョイ2 「迷惑」なメール
「ええ、そうよ」
彼女の表情がまたにわかに険しくなった。
「何月から何月まで?」
「1月から7月」
「日本のどこ?」
「東京」
聞いたことに対して最低限の答えしか返ってこない。身の上話はしたくないのだろうか? ジョイの黒くて大きな目はキョロキョロと落ち着きなく動き、視点が定まらない。
とその時突然、彼女の携帯が鳴った。しかし出なかった。僕に遠慮したのかと思い、
「僕に遠慮しないで、電話に出てもいいんだよ」
と言うと、ジョイは
「遠慮してるわけじゃないのよ。うっとうしいのよねえ。この客。おととい知り合った現地駐在の日本人なんだけど、私に本気になっちゃったみたいで『君を今の汚れた仕事から救い出したい。僕の恋人になってほしい』だって。おとといからもう40~50回はメッセージを送りつけられてるわ。これ見て」
ジョイは受け取ったばかりのメッセージを見せてくれた。
「I love you Dakara Shigoto wa yameru OK? I miss you Kimini aitaina Sugu akono(僕の) Heyani kite Matteruyo Bokuga kimito Kimino family mo tasuketeageruyo……」
ジョイに入れあげたお客のいささか勝手なメッセージがそこにあった。
「同じようなメッセージを何回も何回も送りつけられてもううんざりだわ」
と言いながら、ジョイは迷惑そうに端正な顔のみけんにしわを浮かべながらテキストを送り始めた。テキストとは、フィリピンの携帯電話間で、電話番号をメールアドレスのように使って行うメッセージのやり取りで、日本の携帯メールのようなものである。やはりすんなりとインタビューに入っていかれない一因は仕事上のトラブルだったようだ。しつこい客、スケベな客、アブノーマルな性癖を持った客……稼ぎは大きくても仕事上のストレスやドラブルが多いのもまたフリーランス・ホステスの仕事の一面である。
「彼がうっとうしいって言うのは余計なお世話っていう感じかな? やっぱりお客さんと本気で付き合うのはいやなの?」
僕は彼女の心の中を読み解こうとしてみた。
「お客さんだっていい人もいるし、自分と相性の合う人なら彼氏にしてもいいと思うわ。でも『私を助けだす』なんて余計なお世話っていう感じね。だって今の私にとって一番大事なのは、家族を助けるためにお金を稼ぐことだし、このお客さんタイプじゃないの。わがままで。もう30歳なのにまだ心は子供のままみたいなの」
「じゃ、しかたないね」
「そうなのよ。だから彼があきらめてくれるようにメッセージを送るからちょっと待ってて」
彼女は手馴れた様子で目にもとまらぬ速さでメッセージを打って送信した。そしてまた、灰皿に置いたタバコをくわえ、煙を深く吸い込んで、静かに吐き出した。彼女の表情は険しいままで、視線はキョロキョロと定まらず、きれいな瞳は『心ここにあらず』という彼女の内面をはっきりと映し出していた。
「何てテキストしたの?」
「『今、お客さんといっしょだから仕事の邪魔しないで』って」
少しでも相手の立場に立って考えることのできる客なら少しは彼女の仕事に気遣ってしばらくは何も言ってこなくなるはずだ。しかし、すっかり熱くなったその客は引き下がらなかった。
「それじゃ、話を始めようか?」
と何とか彼女の気持ちをインタビューに向けようと、穏やかな表情を作って僕が必死に努力している時、またしても『ピー、ピー』とテキスト・メッセージの着信音が鳴る。彼女はまた険しい顔をして、無言でテキストを送った。
「今度はどんなメッセージを送ったの?」
「『あなたはタイプじゃないの。迷惑だからもう私に付きまとわないで』って」
それは強烈だ。もうこれで僕にとっても迷惑なその客からのテキストが入ることはないだろう。実際、その後もう二度とその迷惑な客からテキストは来なかった。
仕事として甘いサービスをしたのを愛と勘違いしてすがりつくように張り付いてくる男性も悲しいが、それを振り払うホステスにも自分の暮らし・プライバシー・仕事を守るための苦労があるのがよくわかった。
さあ、問題がひとつ片付いて今度こそようやく落ち着いてインタビューだと思った矢先、ジョイから思いもよらぬ申し出があった。
「ねえ、今日はむしゃくしゃするの。インタビューに答える気分じゃないわ。お願い!! ビリヤードに付き合ってくれない?」
ジョイは苦悩にゆがんだ表情で、懇願するように言った。またしてもビリヤード?! 僕は覚えたてでやりたくてしょうがない時期だ。彼女にお相手してもらうもの悪くないが、インタビュー第一だ。何しろ拘束料を支払い、夕食までご馳走している。そしてようやく話が聞けると思ったら、今度はビリヤードに付き合ってと来た。このジョイという娘はリクエストが多すぎやしないか? 僕はちょっとジリジリ・イライラしてきた。すぐにも彼女の身の上話を聞きたい。しかし、彼女の突き刺すようなまなざしに、Noとは言えなかった。それに、彼女の立場に立てば、タイプでない客からしつこく付きまとわれるのは大変な迷惑だし、大きなストレスの原因になるだろう。場合によってはストーカーまがいの客に命を奪われるような問題に発展するかもしれない。しかしそれをさばくのもホステスの仕事のうちなのだが、言うは易く、行うは難しだ。そんな時に気晴らしが必要なのもうなずける。僕ははやる気持ちを抑えて彼女のお願いを聞き入れることにした。
「わかった。今日はまずビリヤードしよう。でもその後、もし今日がダメならまた近いうちに君の話を聞かせてね。」
「ええ、わかったわ」
僕は彼女のうわの空の返事を信じて、今日はうさ晴らしに付き合うしかなさそうだ。
ジョイの行きつけだというビリヤード店は、僕らが食事した日本レストランから歩いて5分ほどのアドリアディコ通りに面したビルの3階だ。
彼女はすばやくキューを選ぶと、ビリヤード台の上でキューを突き出す練習をしている。彼女の一連の動きは凛として美しかったが、いやな思いを振り払うかのように、そして何者かに取りつかれたかのように、自分をビリヤードへと駆り立てているようにも見えた。僕が彼女の動きに見入っていると、ジョイは不意に背中越しに、
「勝負しましょう。1ゲーム100ペソでどう?」
と言った。フォームを見ているだけで彼女が相当の経験者であることは素人目にもわかる。かなりの腕と見た。何ゲームやるのかわからないが、おそらく僕は1ゲームも取れないだろう。
普通、このエルミタで見知らぬ同士がビリヤードの手合わせする時、賭けゲームはさほど頻繁には行われない。せいぜい負けたほうがゲーム代を持つ、それがこの外国人観光客の多い界隈の暗黙のルールにもなっている。賭けるとしても、ゲーム代は1ゲーム分のゲーム代である25ペソが普通だ。真剣勝負というより遊びの延長というわけだ。
今日の僕らのゲームでは、ビリヤード台の時間借り料金やドリンク代はすべて当然僕持ちだ。その上さらに掛け金まで取られるのではどう考えても割に合わない。そもそも持ち合わせの少ない僕は、10ゲーム負けたらもう支払いができない状況だったので、自分が全部負けることを前提に1ゲーム25ペソで許してもらうよう頼み、了承してもらった。
さあ、ゲームだ。もちろん8ボール。彼女のダイナミックなフォームから勢いよく突き出された白い玉が3角形に並んだ15個の玉を勢いよくはじく。すさまじい迫力、そして殺気。彼女は何かに取り付かれたかのようにダイナミックなフォームからある時は力強く、ある時は繊細なタッチで次々と自分のボールを突く。一球入魂と言うのだろうか? ジョイの情念の乗り移ったボールは、気持ちいいくらいに次々とポケットに吸い込まれていく。自分の魂のすべてをボールに注ぎ込んでいるような彼女に、プレイ中はまったく話しかけることすらできなかった。僕はその美しさと迫力に圧倒されたまま、見入っているだけだった。
あっという間に予定の2時間が過ぎた。18ゲームやって全敗。悔しいとかそんなレベルではなかった。それは実力が伯仲している場合だ。この日の勝負では、ただただ恐れ入りましたとしか言いようがない。僕はまず負け分の450ペソをジョイに支払った。この450ペソは彼女のプレイを見せてもらった鑑賞料だと思うことにした。ジョイは少し気が晴れたのかこの時初めて笑顔を浮かべた。
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予期せぬ出会い(ジョイ第1回)
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2007-01-06T23:00:21+09:00
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ジョイ1 予期せぬ出会い
★夏休みの学生たち
リセルとの切なく悲しい再会はかなり尾を引いた。彼女との再会の日から数日間、僕は小さな甘い想い出と受け入れがたい過酷な現実の狭間で、とてつもないむなしさと脱力感に襲われた。しかし、取材のためのフィリピン滞在期間は約2ヶ月間。立ち止まっている暇などない。僕は感傷の世界に引きずり込まれそうになるのを何とか踏みとどまり、自分の気持ちを必死に立て直した。
それからちょっと冷静になって今回の取材の原点を振り返った。取材目的は、かつてエンターテイナーとして僕たちをいやし、楽しませてくれたすべてのフィリピーナたちのいろいろな『その後の』人生を追いかけ、僕と同じような興味を持った人々に彼女たちの様々な現状を伝えることだ。そのことだけのために日本から飛んで来たのだ。盛り場で働く元ジャパユキの生き方だけを追いかけに来たわけではない。むしろそれはほんの一部に過ぎない。その他にも、フィリピンの社会でまっとうな仕事についた女性、自ら商売を始めた女性、主婦として家族の下に戻った女性など、追いかけるべき取材のモデルは他にもたくさんいる。
そんな意味でフリーの娼婦の溜まり場として有名な援交カフェであるLAカフェを本拠に働く元ジャパユキの姿は、あくまでも一例に過ぎない。だからこそリセル一人を紹介できればそれで十分なはずだ。だから僕がLAカフェに通う理由はもう何もないように思われた。
しかし、4月中旬の復活祭明けと言えば、常夏の国フィリピンでも一段と熱い3月から5月にかけて続く夏の真っ只中。フィリピンの学生にとって3月下旬から6月上旬にかけて続く長い夏休みは、夏季補習授業のシーズンでもある。1学年が6月に始まり、翌年の3月下旬か4月の上旬に終わる学校制度の中で、夏休みは新学年分の学費や夏季特別補習授業の授業料を稼ぐために勤労女学生のアル売春が増える特別な時期としても知られている。今回の取材の目的からは外れるが、せっかくこういう時期にマニラに滞在しているのだから、そんな女学生たちのアル売春の実態も自分の目で確かめておきたくなった。それで旧友リセルとの再会後も、僕は若いフィリピーナたちのいろいろな人生との出会いを求めてもう数日だけLAカフェに出入りを続けることにしたのだった。
実際、「私は看護学生なんだけど、新学期の学費稼ぎでアルバイトしてるの……」「私は大学生で今夏休みなんだけど、夏季特別授業の授業料で1週間後までに10000ペソ稼ぎたいの……」、学生証を見せながらそんな言葉で誘いかけてくる学生らしき女の子とたちともたくさん出会った。それは僕にとってLAカフェの中で季節を感じた瞬間でもあった。
また、『お母さんが大病で緊急手術が必要でどうしても明日までに50000ペソが必要だから、私は処女なんだけど50000ペソで明日の朝まで自由にしてもいいわ』とか、明日までに家の家賃3か月分4500ペソを払わないとアパートを追い出されちゃうからお願いだから私を連れ出して』といったアプローチを受けた。あまりに真剣なアプローチに同情心から思わず札入れからお金を出したくなる場面もあった。
もちろん彼女たちの話をすべてが本当ではないだろうが、日々の生存を欠けてのそれぞれに真剣な戦いぶりはよく伝わってきた。余談ながら、母親の病気を理由に僕に言い寄ってきた18歳の女子大生だと名乗る女の子は、僕が50000ペソなどという大金は持っていないと言うと、すぐに半額の25000ペソにディスカウントしてきた。彼女は僕が今宵の相手を探していると勘違いしている。彼女の話が本当だとすれば、ますます彼女の生涯一度の処女としての仕事を邪魔するわけには行かない。女性を買うつもりはないことをはっきり告げると、彼女は悲しげに僕が座っていたテーブルを去っていった。
所持金は3500ペソあまり。今回の取材の趣旨に合った女性に巡り会った時の謝礼代と食事代など、ほとんど最低限の金額しか持ち合わせていない。でも、もしこの時、50000ペソの持ち合わせがあったとしたら、母親が大病だと言う彼女に『これを使って。ただし自分を大切にすると約束してね』と言って渡していたに違いない。それだけその子の様子には鬼気迫るものがあったのだ。そして、『たった1回の行為から彼女が誤った方向に人生を踏み外してほしくない』という強い衝動に心が突き動かされていたのだ。彼女の話が嘘で僕が騙されているのであればそれはそれで自分に人を見る目がなかったと納得できる。しかし、幸か不幸か、僕には50000ペソも、50%引きの25000ペソの持ち合わせもなかった。
家賃を払わなければ家を追い出されると言った女の子の方は、家を追い出されること自体が今すぐ人の命にかかわる問題でないこと、また直感的にその子がこの手の嘘で常習的に外国人たちを騙していると確信に近いものを感じたので、なんらの同情心もわかず、『お金がないから』と軽くかわすことができた。
★メスティーサ(混血)美の象徴
そんなある日のことだった。
「アナタ ニホンジン? ワタシ ニホン キョネン イッタヨ」
ふいに日本語で声をかけられてあわてて振り返った。そこにはこれぞメスティーサ(混血)美の象徴とも言うべき、スペイン系の血の濃く混じった彫りの深い美少女ジョイが立っていた。やさしくも怪しい笑顔に僕は一瞬のうちにグイッとひきつけられた。黒く大きな瞳、高い鼻、あごの線が鋭角で、まなざしは鋭く、深い憂いとかげりをたたえている。5フィート(152㎝)とやや小柄だが、大きな胸のふくらみからくびれた腰のライン、そして豊かで張りのあるヒップへと続くシルエットは、コーラの8オンスびんを思わせる見事な曲線美だ。声をかけてきたのは単なる客探しのためなのだろうが、いずれにせよリセルに出会うまであれだけ見つからなかった、日本から帰国して間もない元ジャパユキにかくも簡単にまた遭遇してしまったのだった。
援交カフェで働くフリーの売春婦というプロフィールの元ジャパユキは一人紹介できれば十分と思っていた自分だが、ともかくジョイに出会ってしまった。しかもジョイには、リセルとはぜんぜん違ってプロの売春婦のにおいがする。この子はまたぜんぜん違った人生を歩んできたはずだ。また、一味違った元ジャパユキの人生に出会える予感がした。この偶然を利用して彼女の話もぜひ聞いてみたい。それで取材の趣旨を説明し、承諾を得て話を聞くために連れ出すことに決めた。となると、念のために何をおいても彼女の年齢だけは確認しておかなければならない。
「今、何歳?」
「20歳よ」
ひとまずOKだ。17歳以下の女の子とこの辺を歩いていると、児童買春の疑いをかけられて逮捕されてしまうかもしれないから、この確認は絶対不可欠だ。さらに念のため、僕は彼女の身分証明書(ID) も見せてもらうことにした。つい最近も日本人観光客が、グルになった未成年売春婦と警官にハメられて、ホテルに入ろうとするところを呼び止められて捕まえられ、『児童買春は大変な罪になるぞ』などと脅された挙句、拘留を免れるために何百万円という金を払う羽目になったというような事件が何件も起こっている。用心にこしたことはない。
ジョイは、小さなバッグの中からさっと財布を取り出し、その中から1枚のカードを抜き出して見せてくれた。それは裁縫工場の会社名、彼女の名前・写真も入っているIDだった。生年月日も1985年×月×日となっていて問題はなさそうだ。
児童買春で捕まらないためのチェックが済むと、僕は、
「Hなサービスは何もいらないから、今の君の暮らし、日本での出来事とか、僕が聞くことに正直に答えてね」
と彼女に頼んだ。帰ってきたのは
「いいわよ」
というそっけない返事だけだった。乗りかかった船だ。僕はインタビューがうまく行くか一抹の不安を感じながらも、3時間1500ペソの約束で彼女を連れ出し、すぐ近くの日本レストランに誘った。彼女がうどんを食べたいと言ったからだ。
初対面の時の微笑が嘘のように、二人きりになってからの彼女は、レストランに着いてオーダーを終えても何かイライラした様子で、落ち着きがない。どうしたというのだろう? 変な客に関わったとか、女の子同士の客の取り合いとか、仕事上のストレスで神経がまいっているのか? それとも家賃が支払えなくて家を追い出されそうだとか、間近に迫った経済的問題のプレッシャーに押しつぶされそうになっているのか、僕はジョイの心のうちについていろいろ思いをめぐらしてみたが、答えは見えない。
重苦しい沈黙の中で、彼女はおぼつかない箸づかいで何とかてんぷらうどんを平らげると、小さなショルダーバッグからタバコとガスライターを取り出し、あわただしく火をつけ、煙を深く吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。実に堂に入った吸い方だ。1年や2年の喫煙歴ではなさそうだ。
「タバコは長そうだね。いつごろから吸ってるの?」
「小学校1年くらいから」
彼女はこともなげに言ってのけた。僕の驚きを察したのか、ジョイは少し説明を加えてくれた。
「お父さんにタバコの火をつけてくれるように頼まれて、よく火をつけてあげているうちに自分でも吸うようになったの。7歳くらいの時からかなあ。その頃は時々お父さんのタバコの箱から1本、2本ってこそっと抜き取って吸ってただけよ」
なるほど、納得だ。僕はかつてスラムの路地裏でよく見かけた光景を思い出していた。というのもフィリピンの庶民、特に貧困層の人々の中では、子供たちがお父さんやお母さんのタバコにマッチで火をつけて、一ふかし二ふかしして完全に火がついてから手渡す習慣がある。僕はかねてから『これは子供の健康にとっても悪いし、児童喫煙のきっかけにもなりかねない悪しき習慣だな』と思っていて、そんな場面に出会うと、眉をひそめて見ていたのだが、多くの子供たちは完全にタバコに火がついたらそれで役目は終わりで、実際の喫煙に至ることはめったにない。しかし、ジョイの場合はそこでタバコの味を覚えてしまったようだ。
タバコの威力で少し気分が落ちついたのかジョイの表情が穏やかになったので、僕はおもむろにインタビューを始めた。
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新年のごあいさつ
http://webmagc.exblog.jp/6277629/
2007-01-01T23:30:41+09:00
2007-01-01T23:30:41+09:00
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新年のごあいさつ
2007年最初の更新は、著者白野氏より読者のみなさまへのごあいさつを掲載いたします。
本年もご愛読のほどよろしくお願いいたします。
☆ ☆ ☆
新年明けましておめでとうございます。昨年中は、『フィリピーナはどこに行ったのか?』をご愛読いただきまして誠にありがとうございました。読者のみなさんはどんな新年をお迎えでしょうか? 愛するフィリピーナと常夏の国で幸せと安らぎの時を過ごしている方、いとしの彼女ともう夫婦になってゆったりとした気分で新年を迎えている方、日比離れ離れになって、2000マイルの距離に負けずにさびしさにじっと耐えて愛を育てていらっしゃる方など、いろいろな年の始めをお過ごしのことと思います。
昨年7月から始まった私の連載をお楽しみいただいているでしょうか? みなさんから日々いただくコメントやメール、そしてアクセス数の着実な増加を励みに、元タレントたちの様々な今の生き様をリアルにお伝えできるよう頑張っています。
3ヶ月間の取材中には、インタビューした元タレントたちは100名あまり。数多くの出会いの中で、いっしょに笑ったり、しんみりしたり、時に泣いたり、いろいろなことがありました。原稿を書き起こしながら、実際にめぐり会った元タレントたちとのそんないろいろなシーンが、年が変わった今もつい昨日のことのように浮かんできます。そんな空気もできるだけそのまま感じていただければいいなと思って筆を取っています。
今回の連載の出発点は、2005年3月15日、法務省令の実施要綱が急に厳格化し、いわゆる名ばかりのタレントたちが日本に戻って来られなくなったことです。
『僕をその昔、ほんの束の間でも楽しい世界にいざない、癒してくれたフィリピーナたちは、今どこで、どんな仕事をして、どんな暮らしをしているんだろう? それは日本にいて想像していても絶対わかることじゃない。現地にいる元タレントたちに会いに行ってその肉声を聞こう!! そしてそこで出会った彼女たちの窮状も、新しい旅立ちも、その他のいろいろな彼女たちの今の人生も、自分と同じようにフィリピーナによって癒されたことのある多くの日本のみなさんに伝えよう!!』という思いがすぐに頭を過ぎりました。
そして、「旅の指さし会話帳フィリピン」担当であるウェブマスターと話し合った結果、今回の連載となったわけなのです。
そして現地で実際に出会った彼女たちの生き様とは? 何とか日々を生き抜く生活の糧を得るために、日本人向けカラオケ店で働く女性、風俗業の深みに生きる女性、再度の日本行きに漠然と夢を託して待つ女性もいれば、日本行きの夢を断ち切ってレストランのウェイトレスやデパート・ガールに転身した女性、平凡な主婦に戻った女性など、一般のフィリピン社会に復帰した女性たちとの出会いもありました。また、一歩進んで日本行きをきっかけにステップアップした女性もいました。たとえば、サリサリ店(雑貨店)やインターネットカフェ開業など、事業を始めたケースです。さらにはライブチャットコンパニオンという新しいジャンルの業界に自分の居場所を見つけた女性などなど、元タレントたちの『その後』には実に様々な生き様がありました。読者のみなさんにも、僕が見た彼女たちの『その後』の生き方をありのままに感じ取ってほしいと思います。また、実際に出会ったフィリピーナの面影を物語の女性の中に見出している方もいるかもしれません。そんな風に楽しんでいただくのも著者として喜びです。
彼女たちの話を聞いている時、ある時はあまりにも過酷な彼女たちの現実に何度も言葉を失い、またある時はしたたかな彼女たちの身の振り方に抑えがたい憤りを感じながらも、その都度気持ちを立て直し……そんなことの連続でしたが、短期間に多くの濃密な人生との出会いがあった今回が、私の今まですべての取材活動の中で最も想い出深いものでした。
この連載の今後の展開ですが、賢明な読者のみなさんにはもうはお見通しでしょうね。カラオケ・ガールから始まり、だんだん夜の深みにはまり込んで行った女性たちをまとめてご紹介しました。となると後に続くのは……そうです。これからは、第8話までは盛り場系の女性のお話が続きますが、第9話からはフィリピン社会に再び根を下ろして新しい人生を歩みだした女性たちが続々と登場します。今後の新しい展開にもどうぞご期待ください。
連載が進んでいく間にも僕が出会った元タレントたちは次々と新たなライフステージを歩み始めています。
第二話でご紹介した、妻子持ちの日本人の彼氏との恋に賭けたアナリサは、いきなり昨年末、私の日本の自宅に電話をかけてきました。結局捨てられてしまい、またジャパニーズ・カラオケに戻ったということでした。もう、夢から覚め、吹っ切れて明日に向かってまっすぐ歩き始めているようでした。また、第五話で登場した、始め妊娠を隠していた援交カフェAのウェイトレス、ジャネットを覚えていますか? 彼女は昨年11月、元気な男の子を出産して中国人の彼氏とも正式に結婚して新居を構えたと、同じカフェのビリヤード友だちメアリーから聞きました。彼女たちもまたそれぞれに新しい人生を歩み出しているのです。
さて、読者のみなさんの恋愛ライフステージはどんな段階しょうか? 日本とフィリピンの二国に分かれて遠距離恋愛を育んでいらっしゃるみなさん、彼女たちの多くが孤独と日々の生活苦の狭間でサバイバルをかけたギリギリの戦いをしていることと思います。こちらも当面の寂しさにグッと耐えて頑張りましょう。そして連絡先は、携帯電話以外にも、現住所・田舎の住所・電話番号・兄弟の電話など、なるべく多く抑えておくように注意を払った方がよさそうです。フィリピンでは携帯電話は常になくなるもの。携帯電話の盗難が、二人の愛の終わりにならないとも限りません。何かと不自由の多い遠距離恋愛ですが、今の苦しみは未来の幸せにつながるイントロだと思えるくらいの心のゆとりが持てれば言うこと無しですが、『言うは易し、行うは難し』ですね。かく言う私も遠距離恋愛組の一人。孤独に耐えて頑張っています。
しかし、その一方であなたが彼女の愛に少しでも疑いを差し挟む余地があるのなら、立ち止まってちょっと冷静に考える勇気も必要でしょう。一言で割り切ることは非常に危険なのですが、あえて言うなら、私のまわりの経験から言うと、『疑わしきは脈なし』です。フィリピーナは恋する気持ちを隠せない・隠そうとしないのが常。フィリピーナの本当の愛は、一点の曇りもない晴れ渡った青空。それだけ誰の目にも明らかなのです。
では最後になりましたが、『フィリピーナはどこにいったのか?』のご愛読に対して重ねてお礼申し上げますとともに、今後とも今までに変わらぬご支援・ご愛読をよろしくお願いいたします。みなさんのコメントやアクセス数の増加が、私にとって唯一最大の執筆のモチベーションです。最近ではご自分の境遇と連載に登場するヒロインたちの姿を重ね合わせたような非常にディープなコメントが多く、ウェブマスターも返事のコメント作りに大分苦労しているようではありますが、私は毎日楽しく拝見しています。今まで以上にウェブマスターを苦しませてあげてください。
今年がみなさんにとってよい年でありますよう、読者のみなさんのご健康とご多幸をお祈りするとともに、いとしのフィリピーナと恋愛中のみなさんには、最後にお二人の思いが成就するように、また素敵なフィリピーナの奥様をお持ちのみなさんには、お二人のお幸せが末長く続きますよう、心からお祈りして私の新年のご挨拶とさせていただきます。
2007年1月1日 フィリピン・カルチャー・ウォッチャー 白野慎也]]>
気になる三角関係(リセル最終回)
http://webmagc.exblog.jp/6265398/
2006-12-30T17:58:35+09:00
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リセル9 気になる三角関係
リセルは強い結婚願望を口にしていたが、現在の彼女の恋愛生活はどうなっているのか、きちんと聞いていなかった。素敵な出会いとその延長の結婚とトントン拍子にことが運べば、彼女も普通の主婦として再出発できる。
「そう言えば、君の現在の恋愛生活を聞いてなかったんだけど、誰かめぼしい恋人候補はいるの? タイプだったから身を任せた最初のお客のSさんとか……」
「Sさんも候補者の一人ね。Sさんは2ヶ月に一度はフィリピンに来てそのたびに私を連れ出してくれるわ。Sさんが私でもいいって言ってくれればうれしいわね。Sさんはね、さっき言った通り会社員なんだけど、スケジュールをやりくりして毎月二泊三日の日程で私に会いに来てくれるのよ」
なるほど、Sさんもかなり本気でリセルに入れ込んでいるようだ。僕が大きくうなずきながら聞いていると彼女はさらに続けた。
「でもね、クーヤ、もう一人候補者がいるのよ。昔の日本でのお客さんでね。さっき話した建設会社の社長のNさん、覚えてる?」
僕は少しびっくりした。なぜなら、このNさんを取り合って、結局古株のタレントに奪われてしまって終わっていたと思ったからだ。リセルはうれしそうにNさんのことを話し始めた。
「私が日本から帰って2ヶ月後にNさんから電話があったの。『君が俺のことを本当は大嫌いだとか、俺に付きまとわれたくないから君が3ヶ月でフィリピンに帰ることになったって店の女の子とたちに聞いてたから身を引いたんだけど、最後に一度だけ君の口から確かめたくて電話したんだ。しつこかったらごめんな』だって」
「それは事実と大違いだね。それで君はNさんにきちんと本当の事情を説明したんだね」
「ええ。焼きもちを焼いたキャシーにいじめられてお店を追い出されるように帰国したこと、Nさんが私のタイプなことも話したわ。そうしたらNさんはその数日後に初めてフィリピンに来てくれたの」
Nさんの初来比の日、リセルは、英語もタガログ語もまったくできないNさんをマニラ国際空港まで迎えに行き、Nさんが日本で予約していたホテルに同行。今の暮らしや家族のことから何から何まですべてを包み隠さず話したのだという。
「Nさんは、『そんなこと気にするなよ。今の君が好きだ。結婚したい』って言われて、すぐに結ばれちゃったの」
「プロポーズされたんだ。それですぐにOKしちゃったの?」
「いいえ、私の気持ちもさっきクーヤが私に言ったのと同じ。クーヤがシャロンと私の二人を同時に好きになったように、私の心の中にはNさんとSさんの二人がいるの」
なるほど。それで彼女はどう決断するのだろうか?
「NさんにもSさんにも、私はもう一人好きな人がいるって正直に言ったわ」
僕はまた驚いた。そしてうれしかった。売春という絶対悪の世界まで堕ちたリセルだが、二人の日本人の好意を逆手にとって金づるにしようとしないあたり、彼女はまだ汚れていないと確信できたからだ。僕はまたここで、おせっかい癖が出てNさんとSさんが今現在独身なのかどうか確認をさせてもらった。
Nさんは50歳の建設会社社長で結婚経験のない本当の独身、Sさんは世界的に有名な家電メーカーに勤務する55歳のサラリーマンで、10年前に奥さんと死別。二人の子供たちも独立していて、フィリピン人女性との再婚に何の拒否反応も示していないということだった。
★幸せを祈って
実際に彼女の恋のお相手に会ったことがあるわけではないからわからないが、まずお相手は独身なのでその点だけは問題なさそうだ。あとはリセルがどちらを選ぶかというだけの問題にも見える。現在リセルはどちらとも決めかねているという。この三角関係の行く末が気にかかる。僕はただ旧友のリセルに最後に幸せをつかんでほしいだけだ。
彼女がきちんとした形で結婚できれば、彼女がさっき口にしていたささやかな夢はすぐに実現できるだろう。
しかし、彼女の結婚はそんなに生やさしいものではない。お父さんやその愛人たち・彼らの間にできた大勢の子供たちまで背負うとなると急に未来は暗くなる。どこまで面倒見るのか、つまり誰と誰を助けるかの線引きをはっきりさせなければならない。さもないと、彼らに経済的支援を求められて身動きが取れなくなってしまうことは目に見えている。その一方で彼女が笑顔で赤ん坊をあやす姿も脳裏をかすめる。リセルの将来のことを考えて僕は彼女を置き去りにして物思いにふけってしまった。
「どうしたの? クーヤ!!」
と言われて僕はわれに返った。
「シャロンのことでも考えてたんじゃない?」
リセルがぜんぜん見当違いのことを言った。シャロンか?! 懐かしい名前だ。彼女は今日本に暮らしながら、日本人の夫の支援を受けて故郷ダバオでレストランを始め、営業は家族に任せているらしい。『また、後手を踏んでしまったな』と僕は苦笑いをしながらもうれしさで一杯だった。それにしてもいつもいい人で終わってしまう自分が改めてふがいなかった。僕は、
「君の将来のことを考えていたんだよ」
と言った。リセルは何とも言えない微妙な笑顔を浮かべた。
また、僕の物思いで会話が途切れた。気がつくとリセルがついさっきまで腰掛けていたベッドで横になってすやすやと寝息を立てている。連日の仕事の疲れがたまっているのだろう。耳を澄ますと吐息が一定にリズムを刻んでいる。
リセルのたどった道のりは決してほめられたものではない。でも僕は、根っからの悪人でもなければ、根っからの売春婦でもない旧友にある種の共感のような気持ちを感じていた。
約束の1時間半をはるかにオーバーして3時間もインタビューにつき合わせてしまった。
僕は用意していた封筒に、約束のインタビュー代の500ペソではなく、彼女の通常のショートタイム料金1500ペソを入れた。しかしそれだけでは足りない。彼女に僕の今の思いを伝えたかった。僕はいつも携帯していたノートを1ページ破り、そこに『今日はどうもありがとう。しばらくぶりに会えてうれしかったよ。自分を責めないで。自分を恥じないで。僕は君の生き方を支持するよ。本当に好きな人と結ばれるといいね。体を大切にね。君の幸せをいつも祈ってるよ』と書いて、封筒の中に入れ、その封筒を眠り込んだ彼女の手のひらにそっと握らせた。
そして彼女を起こさないようにボタン式の部屋のドアをそっと閉め、鍵がかかっているか確認して部屋を後にした。その安宿を出て振り返ってみた。そのたたずまいは、彼女の仕事場の喧騒と混沌と比べてすべてが地味でひっそりと静かだった。リセルのこれからの人生も喧騒と混沌ではなく、ひっそりと波風の立たないものであるように祈りながら、すっかり日の落ちたエルミタの人込みの中に僕は吸い込まれていった。
(リセルの章終わり)
今年もこれで最後の更新です。いつもご愛読いただき、ありがとうございます。
次回は、著者白野氏より読者の皆様への新春メッセージを掲載いたします。
お楽しみに。
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懺悔と将来設計(リセル第8回)
http://webmagc.exblog.jp/6256647/
2006-12-28T18:15:56+09:00
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リセル8 懺悔と将来設計
普通の素朴なフィリピーナだった彼女がホステスにまでなり、どんな心の痛みを感じているのかも知りたかった。フィリピーナとしての伝統的な性のモラルを持っている彼女だけに、現実の仕事と良心の間で強烈な心の葛藤があるに違いない。
「仕事をしている時は、考えないようにしてるけど、自分がとんでもない罪を犯しているっていう意識はいつも心の片隅から離れないわ。やっぱり私の心が弱いからこんな仕事をしてるんだと思う。だってどんなに貧しくても絶対売春なんかしない女の子だってたくさんいるんだから。自分で自分をいつも責めてるわ。だから私もエステラも毎週日曜日の朝は必ずバクララン教会のミサに出て、その後は自分たちの罪を懺悔(ざんげ)してるわ。どんなに疲れていても週1回のミサの参加と懺悔は欠かしたことがないの。それから私の仕事についてはお母さんたちにはジャパニーズ・カラオケで働いてるってうそをついてるわ。お母さんは『日本人はみんな大金持ち』だと思ってるから私の言葉を信じきってるの。もしこの仕事がバレたら、お母さんは自殺しちゃうかもしれない」
うなだれる彼女を見つめながら、僕は彼女たちも重い十字架を背負ってこの肉体労働をしているんだなあと改めて思った。顔を上げると、彼女の目は涙で潤んでいた。そして絞り出すような声で言った。
「本当に好きな人ができたら、この仕事絶対にやめるわ」
僕はその言葉にうそはないと思った。
★将来に向かって
昔なじみ、しかもちょっと色っぽい関係になりかかった女性との再会ということもあって話はあっちこっちに脱線し、時計に目をやると、インタビューは約束の1時間半をとっくに過ぎ、3時間に迫ろうとしていた。彼女の将来への夢に関する質問をして早く仕事場に戻してあげなければならない。僕は最後の質問を彼女に投げかけた。
「今の境遇では考えにくいかもしれないけど、君の将来の夢を聞かせてくれないかい?」
リセルは幸せの青い鳥を追うように一瞬遠くを見つめた後、おもむろに話し始めた。
「ともかく信頼できて心から愛せる男性と結婚して自分の家族を持ちたいわ。でもフィリピン人は絶対いや。私のお父さんの話でわかってもらえたと思うけど、フィリピン人の男はみんな浮気者で、一人の女じゃ満足しないのよ。それに怠け者でしょ。私は結婚するなら、信頼できてフィーリングが合って働き者の日本人男性が絶対いいわ」
フィリピン人男性の肩を持つわけではないが、フィリピン人男性だって一途な人はたくさんいるし、日本人男性だってパロパロ男や怠け者は数え切れないほどいる。実際リセルだって日本でタレント時代にパロパロ日本人男の被害に何度もあっているはずなのだが……僕はあえて彼女の言葉の矛盾を指摘することもなく、黙って聞いていた。
ただ、家族が崩壊せずにいつもひとつにまとまって衣食住が足りた生活を送れるためには生活基盤がしっかりしていなければならないし、そのための具体的なプランがなければならない。もしかしたら自分の妻になっていたかもしれない人だからこそ、友だちとして彼女の将来設計も聞いておきたいところだ。
「結婚してもちゃんとした経済的な基盤がなければ、家族は崩壊してしまうよね。君は家族がきちんと暮らしていけるようなビジネスプランとかはもうちゃんと持ってるの?」
「ええ、クーヤ。今、お母さんたちが住んでる家は仮の住まいだと思ってるわ。あの変態男が私に飽きたら、私の家族をみんな追い出すでしょうね。だから私はまず、本当の家族のための家がほしいわ。本当の家族ってお母さんと本当の妹二人のことよ。この予算が50万ペソ。それからまずそこで小さなサリサリを始めたいの。その予算が5万ペソ」
リセルは僕の予想に反してある程度具体的なプランを持っていた。
当面の貧しさからの逃避のため、仲間に誘われる形で、カラオケというまだまっとうな仕事の枠を踏み越えて売春の世界に足を踏み入れたほかの女の子たち同様、リセル本人が言っていたように、売春を絶対容認しない女の子たちに比べて彼女自身の性のモラルがゆるいという感は否めない。以前インタビューしたローナのようにどんなに生活が苦しくてもカラオケだけでがんばっている女の子だってたくさんいるのだ。そんな女の子たちから見れば一線を超えてしまったリセルの行動は非難されるべきものなのかもしれない。しかし、今の僕にはリセルを責めるような気持ちはまったく起こらない。
今回の一連の取材を通じて売春はこの国にとって必要悪なのだと強く感じたからだ。きれいごとではすまない、生きるか死ぬかの瀬戸際の生活で、女であることを売り物にするしか生きる道がない女性がこの国にはたくさんいるのだ。
その行為を非難するなら、命を投げ打つ覚悟で売春のないフィリピンの政治・社会変革活動に身を投じるか、売春せざるを得ない女性たちにまっとうな仕事の機会を作ってあげてからにするべきだろう。それができなければ、彼女たちを非難する資格はない。非難は単なる弱者いじめだ。
僕自身は、日本国籍を捨て、フィリピンに帰化してフィリピンの政治の世界に深く踏み込んで命がけで社会の変革に取り組むまでの覚悟はまだできていないし、売春せざるを得ない女性たちに仕事の機会を提供するようなビジネスを手がける才能も財力もない。そう思うとなんとも歯がゆい思いで一杯になる。
(次回、リセルの最終回です)
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困った客(リセル第7回)
http://webmagc.exblog.jp/6243796/
2006-12-25T22:25:15+09:00
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リセル7 困った客
ノーマルな嗜好のホステスが、アブノーマルな客に悩まされるのはよくわかる。しかしリセルにつきまとう困った客とはどんな客なのだろう?
「困った客ってどんな人なの?」
リセルは険しい表情のまま、イライラしたような口調で答えた。
「まだ、私がLAでの仕事を始めて間もない2番目のお客でHって言う人なの。60歳で日本の大企業を定年したばかりで、奥さんにはちょっと前に死に別れて今は独身らしいの。第一印象は温厚な初老の紳士でいい人だと思ったの。しかも1日15000ペソで3日間お願いしたいって言うの。始めはラッキーだと思ったの。でも実際には、セックスがすごく強くて最初の晩に5回もされたわ」
すごいスタミナだ。EDに悩む男性たちがうらやむことだろう。僕はその驚きを素直に表現した。
「60歳で1晩5回って、そんな話聞いたことないな。それで君は疲れて困ったっていうこと?」
と僕がリセルの困った理由を総括しようとしたら、彼女は首を横に振りながら言った。「それだけじゃないの。一晩に5回っていう異常なスタミナにもついていけなくて苦労したけど、もっと大変だったのはHがサディストだったことよ。初日は小さめのバイブレーターをちょっと使うだけで許してくれたからまだ我慢できたわ。でも2日目・3日目になると、エスカレートしてきて、最後の晩は、四つんばいの体制でベッドに手錠で両手をつながれて、体をロープで縛られて身動きできないようにして、体をむちでたたかれて、二つの穴は彼自身と、ものすごく太くて長いバイブレイターでふさがれて、痛いし、恥ずかしいし、最悪だったわ」
60歳の絶倫サド男、僕も聞いているだけで気分が悪くなってきた。そんな気持ちの悪い男となぜ縁が切れないのだろうか?
★縁を切れない理由
「それでもその絶倫サド男とは縁を切れないんだよね」
「そうなのよ。3日間彼が滞在しているホテルに滞在したんだけど、3日目にいっしょにハリソンプラザ(マニラ市南部の大きなショッピングモール)に買い物に行ったの。通路で不動産屋さんが建売住宅の模型を置いて物件紹介をしてたの。Hが『僕らの家を買おう。どれがいい?』って聞くから、130万ペソの家を指さして『これがいいわ』って言ったら、『じゃ買ってあげるから引越しの準備しておいて』って言うのよ。『なに冗談言ってるの!!』って私は思わず笑っちゃったわ。
地獄のような3日間が終わって、Hがレンタルしてた車で私の家まで送ってくれるって言うんで、彼に家の場所を知られるのはいやだったけど、私がLAで仕事をしていることは家族の誰にも言わないって約束させて、送ってもらったの。家に着くと、Hは片言の英語でお母さんやお父さんといろいろ話してたけど、私はもう疲れ果ててすぐに空いてたベッドで眠り込んじゃったわ。Hと過ごした3日間の後は体中痛いし、気持ちは悪いし、思い出すのも虫唾が走る、おぞましい経験で仕事をやめようかとも思ったの。
そんな矢先にね、Hと別れてから1週間後くらいかしら、『お前がほしいって言ってた家を買ったぞ』って電話がかかってきたの。それでも半信半疑だったわ。彼とは二度と会いたくなかったんだけど、本当に買ったのかどうか確かめたくてLAで待ち合わせて、彼のレンタルしていたワゴン車に乗ったの。車に乗って1時間。模型で見たとおりの家が目の前に現れたわ。その時もしかしたら本当にこの人、本当にこの家を買ったのかしらと思い始めたけど、それでもまだ完全には信じていなかったの」
「じゃ、本当に買ったんだと信じたのはいつ?」
「Hといっしょにその家に入ったら何と私の家族が全員、その家に引っ越してたのよ」
「えーっ、ということは……」
「私がHに昔の家まで送ってもらった時に、両親はHに、私と彼が結婚を前提にして付き合ってて、愛の証として家を買ったからすぐに引越するんで引越しの準備をするように言われてたんだって。それでその時に『リセルを驚かせたいから、彼女は最後に家に連れてくる』って家族に説明してたらしいの。私を新しい家に連れて行く前に家族全員を先に引越しさせてたってわけ」
「でも、さっと130万ペソの家を買って、家族のことまでそんなに気を配ってるなんて、Hという人は相当君のことが好きみたいだね」
僕は尋常ではないH氏の行動にリセルへの並々ならぬ入れ込みを感じた。
「そうね。でもどんなに気に入られても私はやっぱり変態男は嫌い。一生いっしょなんてごめんだわ。お金のために彼の変態的な性行為に3日間だけ耐えたけど、限界よ。両親も兄弟もこれだけ愛されてるんだから結婚してあげてもいいんじゃないってしつこく私を説得しようとしたわ。Hと私が結婚すれば一家の暮らしがよくなるのは目に見えてたから。でもやっぱり私は自分が愛する人と結婚したいの」
なるほど、もっともだ。僕はリセルの言葉に『体は売っても心は売らない』という意地と、彼女の純粋さを感じた。
「それで今、その家はどうなってるの? 外国人は家の建物は買えても土地は買えないはずなんだけど、Hさんの買った土地の名義人は誰なの?」
僕は素朴な疑問を彼女に投げかけた。
「家族はずっと住んでるけど、私は一度も帰っていないわ。いつもHが私の家族と一緒に暮らしているし、時々日本に帰ったかと思うとまたふらっとやってくるから顔を合わせたくないの。名義のことは興味がなくて聞いてないからわからないわ」
「そうか、なるほどねえ」
虫唾が走るような変態男が待っていたんでは家族がそろっていても家に帰りたくはないだろう。またHが買った家など彼女にとっては、自分の家じゃないのだから誰のものであろうと興味がないのも無理もないことだ。
変態男H氏の大判振る舞いでリセルの家族は当面、家賃の負担をしなくてすむ。食費や光熱費などの負担もない。リセルの家族の面倒を見るのは自分の責任ということで、Hが彼女の家族の生活費すべてを自分のふところから出しているというのだ。
しかし、Hがリセルをあきらめた時、Hはリセルの家族を家からたたき出し、家族はまた貧乏暮らしに逆戻りすることをリセルは知っている。だから家族の生活費をHが出している時も、彼が日本にいて生活費までは出してくれない時も、毎月毎月せっせと母親宛てに仕送りしているのだ。
父親と完全に家庭内離婚状態の母親は、リセルと自分の二人の娘という自分にとっての本当の家族のため、仕送りをしっかり貯金しているという。
現在、リセルの最大の願いは、精力絶倫の変態男H氏がさっさといなくなってくれることだ。
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父の公然の浮気(リセル第6回)
http://webmagc.exblog.jp/6233912/
2006-12-23T22:15:42+09:00
2006-12-23T22:15:43+09:00
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リセル6 父の公然の浮気
「稼ぎも大きいけど出費も多くて何とか食べてるっていう感じ」
僕がリセルの今の暮らしぶりに話を向けたときの第一声だ。
「1ヶ月、ほとんど毎日LAに出入りしてお客さんが取れるのは月7日か8日くらい。近くのホテルについていって話をするだけっていうお客さんから、オールナイトでフルサービスのお客さんまでいろいろよ」
彼女は肝心なことを中々言ってくれない。僕は彼女の話をさえぎって聞いた。
「それで1ヶ月平均で、どれくらいの稼ぎになるの?」
彼女はかばんから小さなノートを取り出して計算を始めた。チラッとのぞき込むとそこには日付と金額が書いてある。彼女の売上帳と言ったところか? 先月は8人のお客さんで25300ペソねえ。他の月も大体それくらいだと思うわ」
こともなげに彼女は言ったがこれは相当すごい額だ。円換算で約58,000円。最後の来日時の給料550米ドルとほぼ同額だ。これだけ稼いでいるのに日々の暮らしに苦労していると言うのが不思議だった。
そこには彼女の複雑な家庭事情があった。
リセルは1979年、ダバオで3人姉妹の長女として生まれた。6歳の時に父親の仕事のため、マニラの南西部に隣接するカビテ州に移り住んだ。父親は腕のいい電気工事師でリセルの幼少時には貧しいながら家族仲良く、食にも困らない暮らしを送っていた。そんな暮らしが狂い始めたのは母親が3番目の子供を出産してから体調を崩して家で寝込みがちになってからだった。
父親は自分の性生活の相手はもちろん、家事すらも満足にこなせなくなったお母さんをあっさり見限り、潜在的に持っていた浮気癖を一挙に開花させた。母親を子供部屋に追いやり、夜な夜な違う女性を家に連れ帰り、床をともにするようになった。父親の公然の浮気は当然副産物をもたらした。父親の愛人たちは次々と妊娠・出産。狭い家は子供であふれかえった。家はいつも、争いと混乱にあふれ、リセルにとっては決して安らぎの場所ではなくなった。
父親は家にろくに家にお金も入れなくなり、リセルたち母子の暮らしは急に逼迫しだしたのだった。リセルが小学校を卒業する頃からは食事も1日1~2回になり、何とか高校に進学しても、父親は勉強に必要な文房具代や通学ための交通費すらも出してくれなくなって、彼女は2年生半ばで高校を中退することになった。近所の雑貨店の店番をしながらお母さんを手伝って家事をするだけの日々が何年も続いた。まともな就職をしたくても高校中退ではまったくチャンスがなかった。
そんな生活に転機が訪れたのは、近所で日本に出稼ぎに行った娘が帰国して、御殿のような素晴らしい家を建て、急に彼らの暮らしぶりがよくなったことだった。リセルはすぐにそのジャパユキにプロモーションを紹介してもらった。22歳の時、2001年のことだった。
紹介してもらったプロモーションのオーディションを受け、すぐにプロモーションの所属のダンサーになった。そしてマカティ市内のローカルなカラオケなどでの実地訓練とプロモーション事務所でのダンサーとしての訓練など、3年間の時を経て彼女のジャパン・ドリームは、ようやく序章の幕開けとなったのだった。
「私、兄弟が何人いるかわからないのよ。本当の兄弟は3人だけど、お父さんが外で作った兄弟は数え切れないわ。今、『家には14人が暮らしてる』って一番下の妹がこの前あった時に言ってたわ。でもともかくこの家族を助けるために私が何とかしなきゃいけないと思って行動を起こしたの」
彼女は運命とあきらめているのか淡々と語った。しかし、そこには長女としての責任感がしっかりと感じられた。それでも実際、そんなに大勢の家族(?)を彼女一人できちんと養っていかれているのだろうか? 僕は疑問をストレートに彼女にぶつけた。
「君一人で、彼らを養えてるの?」
「うーん、できるだけのことはしてるわ。でも養えてるのかどうか、わからない。私たちが住んでいるホテル代1ヶ月 15000ペソのうち、私の払い分5000ペソ、それから洋服代とか、化粧品代、食費、性病検査とか性器洗浄とかの病院代を残してあとは全部、月に15000ペソくらいはお母さんに送ってるわ。でもそれでも足りてないみたいね」
彼女は、必ずしも助ける必要のないかもしれない擬似家族まで抱え込んで文字通り体を張った必死の努力をしているのがよくわかった。この国では売春は絶対悪だ。しかしここまで聞いてしまっては、僕は彼女を心の中で支援しないわけには行かなかった。
★リセルの仕事・ホステスの愛
僕はここで彼女の一日の流れを聞いた。仕事はハードでも時間の流れは平坦なものだった。
前日にお客がつかなかった時は午後2時頃に起きてまずシャワーを浴びる。それからルームメイトといっしょに午後3時ごろ近くの簡易食堂で昼食。そして部屋に戻ってテレビを見たり、ルームメイトと話をしたりして午後6時頃まで時間をつぶす。そして午後6時頃、また近くの簡易食堂で夕食。それから部屋に戻って入れ替わり立ち代りシャワーを浴びるのが7時頃、ゆっくりと着替え、念入りにメイクアップして午後8時ごろにLAに入店する。それから翌朝6時くらいまでお客を求めて店で待機する、といった具合だ。
お客がついた時は、ケース・バイ・ケースだ。
ここでリセルの仕事振りやセックス・ワーカーといわれる女性たちの具体的な仕事ぶりについて少し掘り下げて聞いてみた。
「もうかれこれ9ヶ月も仕事してるわけだけと、君のスペシャルサービスは?」
「クーヤったら。恥ずかしいわ」
彼女は一瞬はにかんだあと、言葉を続けた。
「特別なサービスなんてないけど、私のお客さんは日本人だけだから、日本人が喜んでくれるサービスを心がけてるわ」
「日本人が喜ぶサービスって」
「恋人みたいな雰囲気を作ることね。言葉とかしぐさとか」
なるほど、日本人はセックスに関してはロマンティスト、欧米人は野獣的とよく聞くが彼女のサービスの基本も的を得ているようだ。リセルは自分のサービスについてさらに続けた。
「あと、アブノーマルなことは除いてお客さんが望むことは何でもするわ」
「何でもってたとえば?」
彼女はうつむいて恥ずかしそうに顔を真っ赤にして話し始めた。
「いろいろなポジションとか、フェラチオとか、それからコスチュームプレイとか。日本の高校生の制服を着せられたりしたけど、私がお客さんのリクエスト通りにするとみんなすごく喜んでくれた。それくらいはもう慣れたわ。ただ、ものすごく太くて長いバイブレイターとか、ロープとかろうそくとか、ムチとか、そういうのはもう勘弁してほしいわ」
彼女は昨日の悪夢を思い出すように顔をゆがめて話した。
「やっぱり、そういう趣味のお客もいるんだね」
「いるのよ。でもたった一人だけだったけどね。ほとんどがノーマルな問題のないお客さんよ。その変態趣味のお客さんには今も付きまとわれて困ってるわ」
彼女の眉間のしわがどんどん深くなっていった。
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帰国、そしてLAへ(リセル第5回)
http://webmagc.exblog.jp/6220461/
2006-12-20T22:24:02+09:00
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リセル5 帰国、そしてLAへ
最後の来日から帰国すると、リセルの持ち帰ったお金はほんの2、3日でなくなってしまった。家族が生活費のためにしていた借金の返済を済ませたらもう一文無し。家族で仕事を持っているのは彼女だけだから、家族を養っていくためには、帰国直後の出稼ぎ疲れを取り除くために休むまもなく、すぐに就職しなければならない。そして最後の来日で知り合った親友エステラが勤めているジャパニーズ・カラオケにすぐに就職した。
『もうカラオケはごめんだわ』なんてわがままは言ってはいられない。働き始めて3日目に付いたお客に気に入られ、『夜の付き合いはなし』という条件でマニラの旅行ガイドの話を持ちかけられ、1日2000ペソで請け負い、それがリセルにとっての大きな転機となった。旅行ガイドは意外とおいしい仕事かもしれない。日給250ペソのジャパニーズカラオケで耐え忍んで働くよりも、ガイドで大きく稼いだ方がいいではないかと思ったのである。そんな話をエステラにしたところ、『夜の付き合いの方が旅行ガイドよりもお客を探すのも簡単だし、お金になるわよ』と言われた。確かにエステラのいう通りかもしれない。しかしリセルはまだそこまでふん切れなかった。
いずれにせよ、ジャパニーズ・カラオケは日本に行きたくても行かれない元ジャパユキと、田舎から出てきたばかりのジャパユキ志願の若いフィリピーナであふれ帰り、お客を獲得すること自体が熾烈だった。それに指名や同伴がなければ給料はどんどん減っていく。勤めて2週間、もう二人にはカラオケにとどまって日銭を稼ぐ理由はなかった。リセルはエステラを追うように、カラオケをやめ、LAデビューを果たした。もともとゴーゴーバーが集合しているエドサ・コンプレックスでダンサーをしていたエステラにしてみればLAで肉体営業することなど古巣に戻るようなものでたいしたことではなかったが、売春経験のないリセルは、はじめはホステス(最後までお相手する女性の呼び名)ではなく、あくまでガイドとして最後までのお付き合いまではしない方針で仕事を始めた。
実際、LAデビューした初日からエステラはオールナイトで5000ペソの客を釣り上げた。しかし、ガイドが限度とこだわるリセルには中々客がつかなかった。初めてリセルに客が着いたのは、LAに通い始めて1週間後。ドライバーつきでレンタカーを借り切った日本人観光客にマニラの名所を案内することになったのだ。しかし、イントラムロス、ルネタ公園、マニラ湾クルーズ、マニラ動物園、シュー・マートでのショッピングなどお決まりの観光を終えると、温厚な初老紳士のSさんは、
「今日はありがとう。楽しかったよ」
と言って約束の2000ペソに500ペソ上乗せして2500ペソくれた。しかし、喜んだのもつかの間、リセルはSさんから恐れていた申し出を受けることになる。
「君がすっかり好きになった。観光は終わったけど、今晩このまま朝まで付き合ってくれないか。さらに5000ペソ払うよ」
リセルは一瞬考えてすぐにSさんの誘いに乗った。
「Sさんがタイプだったこともあるわ。でも結局5000ペソの誘惑に負けたの。それが私の本当の意味でのLAデビューよ。それから1週間に二人くらいの頻度でお客さんが取れるようになったわ。ショートタイム(3時間以内)が1500ペソ、オーバーナイト(6時間~9時間)で3000~5000ペソが私の相場よ。お客さんは日本人だけって決めてるの。気持ちもよく分かり合えるし、アブノーマルな人も少ないし、気前はいいしね」
そんな話をしていると、ルームメイトのエステラが帰ってきた。
★大金を稼げる仕事
「こんにちは。クーヤ。私のこと覚えてる?」
「あー、覚えてるよ。LAカフェの入り口で立ってるのを何度か見たことがあるよ」
170㎝を超える長身。スペイン系の血の混じった鼻筋の通った少し野性的で精悍な顔立ち。紺のタイトなストレート・ジーンズに包まれた長い足。黒くつややかな黒髪。けだるそうにタバコをくゆらせたかと思うと、さりげなく足元に投げ捨て、ブーツのヒールで踏み消すプロの娼婦の風格を感じさせる彼女がLAカフェの入り口にたたずむ姿は、ひときわ印象的な光景として瞳の奥に焼き付いていた。文句のつけようのないいい女だった。
「君がエステラだね。よくLAの入り口で見かけたよ。本当かっこいい女性だなと思っていつも見てたよ」
お世辞のつもりではなく、彼女の印象をそのまま本人に伝えただけだった。
「ありがとう。ボラボラ(ゴマすり)上手ね。クーヤは覚えていないかもしれないかもしれないけど、埼玉のお店でも私たち会ってるのよ。私は覚えているのに、クーヤは冷たいわね」
と言いながらもエステラはうれしそうに微笑んでいた。そして、
「ごめんなさいね。今インタビュー中なのよね。じゃあ、私は先に仕事行くから。さよなら」
僕は日本帰りのホステスの出勤を、彼女たちの寝ぐらである薄汚いホテルの一室から見送った。
エステラは、年齢こそ23歳とリセルより3つ若いが来日前からエドサ・コンプレックスでゴーゴーダンサーとしてバリバリ肉体営業していただけあってさすがに風格があるなと思った。
エステラの突然の帰宅で話がちょっと中断してしまったが、僕はなぜ普通の女の子リセルが売春婦になってしまったのか、自分なりに総括しておきたかった。ここで彼女にはちょっと酷な質問をした。
「リセル。結局君は何でホステス(売春婦)になってしまったんだと思う?」
この質問を聞いた瞬間彼女の瞳はひときわ大きく開き、ほほが紅潮して痙攣しているのがわかった。『やはりここまで聞いてはいけなかったのだろうか?』と思い始めた時、彼女は気を取り直したように穏やかな表情に戻って淡々と話し始めた。
「私の心が弱かったの。それにほんのわずかの給料のためにせっせと地道に働くより、簡単に大金が稼げる仕事を選んでしまったのよ。私の大きな罪よ」
より簡単に大金を手にする方法という分析は十分に説得力のあるものに思えた。
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